太田述正コラム#10109(2018.10.4)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その2)>(2019.1.19公開)

 「もう20年も前になるが、私はソウルでたまたま、テレビの高校生向け教育番組をみていた。・・・

⇒歴史の本の中で、このような挿話を取り上げるのであれば、木村は、具体的日時、TV局名・番組名、講師名、を明らかにすべきでした。(太田)

 講師は高名な歴史学教授で、聴講する韓国人高校生に、「朝鮮における日本の支配は世界の植民地支配のなかで、最悪のものでした」と語った。

⇒もとより、かかる主張は、朝鮮日報を読んでいても、しばしば目にするところです。(太田)

 つぎの場面では、これにうなずく生徒たちの様子が映った。・・・
 私は・・・思った。
 「このように断言する根拠はどこにあるのだろう。
 この先生は世界の植民地支配をすべて調べ、比較したうえでこの結論を得たのだろうか。
 そんなことは無理だろう。

⇒木村は、そんな回りくどい批判をするくらいなら、(私が何度かやっているように、)同時代の他の列強の植民地を一つ上げて、具体的データをもとに、この「先生」の主張が当てはまらないことを指摘すべきでした。(太田)

 そもそも最悪とはどのような意味なのか。
 それには、何をもって悪とするのか、悪を明確に定義し、かつその程度を計測することが必要なはずだが、それについてこの先生は何も言っていない。

⇒木村は、ここも、そんな抽象的な議論を提起することなく、(これも私が何度かやっているように、)植民地の人々の餓死者の数といった、「悪」いに決まっている指標を引用して「先生」を批判すればよかったのです。(太田)

 気持ちはわかるとしても、学問的とはいえない…」
 高校生たちはこのような疑問をもつことはなかっただろう。

⇒木村はそう記していますが、大してむつかしい話でもないのに、しがらみに必ずしも囚われていないはずの高校生達からも疑問が提起されることがなさそうなのは、韓国人達の心の病の深刻さを物語るものだ、と私は思います。(太田)

 はたして、韓国の歴史認識にはどれほどの確たる実証的基礎があるのだろうか。・・・
 平壌には無煙炭田が存在した。
 朝鮮王朝時代には、微々たる量ではあるが、近隣の村人がこの無煙炭を温突(オンドル)(暖房)や炊事に利用していた。
 平壌炭田につよい関心を寄せたのが、日本海軍である。
 それは、煙が出ず、敵に探知されにくい無煙炭燃料が軍艦用に好適だったからにほかならない。
 日本海軍は、早くも1880年代に平壌炭田の調査を始めた(当時、日本は年間100万トン以上の石炭を産したが、大部分は有煙炭で、無煙炭はごくわずかにすぎなかった)。・・・

⇒この部分を長々と引用したのは、(先の大戦期には見る影もなくなっていたけれど、)創世時代においては、日本海軍が、いかにいい仕事をしていたかを強調したいからです。(太田)

 韓国併合当時、朝鮮の総人口は1500万~1600万人(内地総人口は、5000万人の約3分の1)であった。
 1910年の総督府統計では、朝鮮の全戸口の80%を農業戸口が占めた・・・。・・・
 日本では1870年代初期、全有業人口にたいする農林業人口比は70%程度であり、・・・併合当時の朝鮮経済が日本の明治初期以上に、農業に依存していたことを示唆する。」(i~ii、5~7)

⇒私としては、差が思っていたほど大きくない、という受け止め方です。(太田)
 
(続く)