太田述正コラム#10171(2018.11.4)
<木村光彦『日本統治下の朝鮮』を読む(その11)>(まぐまぐに2018.11.4誤アップ。)
「低開発地域の経済成長は、ただちに一般住民の生活水準の向上につながるとはかぎらない。
むしろ、短期的には低下が生じ得る。
それは、農村での貨幣経済浸透に副作用がともなうからだ。
旧来、自給自足的生活を送っていた農民は、現金の支出管理に不慣れである。
彼らは新たな工業製品に惹かれ、容易に支出超過に陥る。
他方、市場メカニズムに無知で、収穫物の販売価格変動にたいする適応能力を欠く。
⇒ここで、木村が援用しているのは、師のミントの著作なので、東南アジアの話だと思われますが、これは、東南アジア諸国の人々よりも平均的知力が高い、朝鮮の人々には必ずしもあてはまらないのではないでしょうか。(太田)
こうしたことから、重債務を負って所有地を手放し、小作農に転落する者が現れる・・・。
朝鮮ではどうだったか。
統計によると、1918~40年間、自作農・自小作農(自作兼小作農)の合計が150万戸から130万戸に減少し、逆に純小作農が100万戸から160万戸に増加している。
多くの研究者は、これを朝鮮農民の貧困化の証拠ととらえる。
しかし同データでは、純小作農の増加数(60万戸)は自作農・自小作農の減少数(20万戸)よりはるかに多い。
自作農の自小作農への転落は、当時の観察者が指摘したように確かに起こったが、純小作農の増加はそれだけでは説明できない。
この間の耕作面積をみると、自作地が約13%減少したのにたいし、小作地は30%近く増加した。
これは、開墾による小作地の増加が大きかったことを意味する。
農民の貧困化が進行したのか否かを知るには、関連資料の幅広い検討が必要である。
従来、注目を集めた他のデータは、米の消費量である。
・・・日本統治期、米の生産量が大きく増加した。
しかしその多くが内地市場向けに販売されたため、朝鮮内の米の消費量が、一人当たりではかえって大きく減ったといわれる。・・・
<しかし、>最近の研究では、・・・一人当たり米消費量は減少したとはいえ、その程度はわずかにすぎない。
同じ研究によれば、1910~40年間、米と麦・雑穀・豆類を合計した全穀物の一人当たり消費量はやや減少傾向にあったが、これにイモ類、野菜類、肉・魚貝類などをくわえると、一人当たりカロリー消費量はほとんど減少しなかった・・・。」(90~93)
⇒それでも、カロリー消費量が減少した、ということは、やはり気にはなります。
後で出てくるのかもしれませんが、福利水準が問題なのですから、朝鮮人の体格の変化や平均寿命の変化を見れば一番いいのです。
問題は、データがあるかどうかです。
ネット上ではすぐ見つかりませんでしたが、以下、参考まで。
一、1930年代において、身長は、「朝鮮:北部地方(今日の北朝鮮): 166.0cm, 中部地方 (ソウル付近): 163.3 cm, 南部地方: 162.5 cm」であったのに対し、「日本: 関東: 159.4 cm, 近畿: 161.3 cm, 四国: 160.2 cm, 北九州: 160 cm, 沖縄: 156.9 cm」だった。
https://stumbleon.blog.fc2.com/blog-entry-2901.html
(出典は当時の日本の教科書らしいが、どちらも本当の本土(内地)ではないということなのだろうが、沖縄が特出しされていること、北海道が記述さえされていないこと、が興味深い。)
二、「1926~30年の<朝鮮>人の平均寿命は、男性32.4歳・女性35.1歳(平均33.7歳)だった」のに対し、「当時の朝鮮に居住していた日本人の平均寿命は42.3歳」だった。
http://japanese.donga.com/List/3/all/27/214669/1 (太田)
(続く)