太田述正コラム#10197(2018.11.17)
<井上寿一『戦争調査会–幻の政府文書を読み解く』を読む(付け足し)(その16)>(2019.2.6公開)

3 終わりに

 杉山や杉山構想、そして帝国陸軍、については、今後とも、繰り返し、他のコラムやシリーズの中で取り上げることになるでしょうが、中締め的に、現時点で想定される諸「追及」に答えておきたいと思います。

〇帝国陸軍を持ち上げ過ぎでは?

 戦後、一貫して、帝国海軍は異常なまでに持ち上げ過ぎられてきたけれど、陸軍は、単に、徹底的に貶められてきたのは行き過ぎだった、程度ではなく、褒め称えられなければならない、という、私が最近到達した結論は動かしようがない、と自分自身では思っています。
 (そもそも、陸軍が徹底的に貶められるように杉山らが仕組み、戦後日本人のほぼ全員がそれに見事に踊らされてきた、と見るべきなのですが・・。)
 帝国陸軍が、島津斉彬コンセンサスを前倒し完遂した、という私の指摘は耳タコでしょうが、もう一つ、(これも、日本を愛し国学を重視した斉彬の遺志を踏まえたという見方もできるところの、江戸時代のプロト日本型政治経済体制をリニューアルしたところの、人間主義に立脚した)日本型政治経済体制の構築を企画・構築し、戦後の高度経済成長を可能にしたこと(コラム#10193、10195)が挙げられるほか、「終戦」が「予想」された時期よりも10数年先以降を見据えたところの、人口増加政策まで企画・実行したことで、終戦直後のベビーブーム・・私もその時の「産物」です・・の形で、これまた見事な成功を収めたことを我々は知っています。
 (書くまでもないことですが、当面の戦争遂行にそんなものは役立たず、むしろ足を引っ張りかねないことは言うまでもありません。)↓

 「産めよ増やせよとは・・・[1941年(昭和16年)1月22日の近衛文麿内閣<で>閣議決定]された人口政策確立綱項に基づくスローガン。・・・<その>背景<だが、>・・・日本も昭和に入り出生率減少傾向が見られた。明治来の富国強兵策には永続的な人口増加が不可欠と考えられた他、戦争激化による生産人口の不足、植民地の殖産など人口増が不可欠と考えられていた。」
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%BA%A4%E1%A4%E8%C1%FD%A4%E4%A4%BB%A4%E8
 「戦後においても、継続された政策のなかで効果があったものとしては、
1.乳幼児死亡率も含めた死亡率の削減、
2.結核予防施策、
3.花柳病(性感染症)予防施策、などです。また、
4.昭和17年(1942年)に導入された「妊産婦手帳」(戦後に、「母子手帳」、「母子健康手帳」へと発展)などの母子保健事業は継続されていて、これらは、その後にも大きな成果をあげています。」
https://www.joicfp.or.jp/jpn/2017/01/11/35983/ ([]内も)

 ぶちあげたのが、杉山参謀総長時代で首相が(私見では)杉山のロボットの近衛なのですから、もちろん、これも杉山構想の一環だったはずです。
 杉山は、フランス等の前例が念頭にあり、そうならないようにあらかじめ手を打ったのでしょう。↓

 「第一次世界大戦後のフランス・・・第二次大戦後のソ連等で・・・顕著であったが、若年層が大量に死傷するために、人口分布に大幅な崩れが起きてしまう。・・・フランスの出生率は・・・<第一次世界大戦後だけでなく、>ナポレオン戦争後・・・において<も>、・・・大きく落ち込<んだ。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E5%93%A1

(続く)