太田述正コラム#10227(2018.12.2)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その3)>(2019.2.21公開)

 「本書を書くにあたり、スタンフォード大学フーバー研究所東亜図書館の戴天禾(たいてんもく)女史、胡鏡宇(こきょう)先生、胡音因女史から多大の援助をいただいた。
 特にここに謝意を表する。

⇒このくだりを引用したのは、ただただ、懐かしかったからです。
 というのも、私は、私一人でのゼミをお願いした、政治学科のイケ教授に提出するペーパー2つを、それぞれ、日本物と米国物にすることにし、1976年になってからだと思いますが、日本物の方の材料を探しにこの図書館を訪れ、日本人だったか日系だったか忘れたけれど、女性の司書に日本語を使ってお世話になりながら、大政翼賛会関係の邦書を漁って、このペーパーを書き上げたからです。
 (前にも書いたことがありますが、このペーパーでもって、私の日本の(戦後につながるところの)戦前観・・超先進社会観・・が形成されたのです。)
 こういうサービスが受けられる点が、雑多な人種からなる米国の、我々外国人にとっての魅力の一つです。
 にもかかわらず、米国に過剰適応するマイノリティーが圧倒的多数なので、米国自身の国際音痴ぶりは治らないまま、現在に至っています。(太田)

 第一次大戦以降、日本は中国に対する帝国主義的な行動をいっそうエスカレートさせていったが、その表れが21ヵ条要求であり、満州・内蒙古の全域を日本の植民地にしようという軍部の野望であった。
 こうした時代を背景に満州事変が起きた。・・・
 日本人が世界の覇権争奪の対象としたのはイギリスやアメリカであって、中国ではなかった。

⇒ここまでは、(私自身はことごとく不同意ではあっても、)日本でもこれに近い説を唱える歴史学者もいますが、この先がいけません。(太田)

 彼らは中国が一撃にも耐えられないほど弱体であると考え、中国を滅ぼしたのち、中国の各種資源を利用して、再び列強と覇を争うつもりだった。・・・

⇒そもそも、「中国を滅ぼ」す、が何を意味しているのか定かではありません。
 通常は植民地にするということになるのでしょうが、そうだとすると、日本軍部が植民地化しようとしていたのは、著者によれば「満州・内蒙古の全域」だけのはずなので、齟齬をきたします。
 ですから、どうやら、単に、蒋介石政権を打倒する、という程度のことらしいのですが、プロパガンダ文書じゃないんですから、それならそのように、著者は、控えめな記述をすべきでした。
 また、日本に、(アジア解放の意図はあっても、)「列強と覇を争うつもり」などなかったことは、太田コラム読者の皆さんならご承知の通りです。(太田)

 日本人は一点において、根本的な誤りを犯した。
 それは悠久の歴史と伝統文化をもつ中華民族の精神を軽視したことである。
 地球上最も古い文明をもつ国の民として、中国人は安定したライフスタイルを保持してきた。

⇒支那が「地球上最も古い文明<(注2)>をもつ」とは初耳であり、著者は、少なくとも、その典拠的なものに言及すべきでした。(太田)

 (注2)「BC5300年頃にはメソポタミアにおいて灌漑施設が建設されるようになり、ウバイド文明と呼ばれるメソポタミア最古の文明が成立した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E

 そのルーツは中国の民衆の心理、すなわち家庭を安息の場とし、「仁」を中核とする倫理道徳を重視し、苦難に満ちた人生の中で一家団欒を享受し、宇宙と社会生活の調和を追求するところにある。

⇒支那(漢人)文明を美化し過ぎです。
 「「仁」を中核とする倫理道徳」・・「仁」は人間主義と同じである、と、これまで私は誤ってしてきた(コラム#省略)・・など、さほど胸を張れる代物ではない(後日、説明)のですからね。(太田)

 こうしたライフスタイルが形づくった民族の自信と自尊心・・・があるからこそ、中華民族が異民族との衝突で勝利がおぼつかなかったり、あるいは軍事的に敗北しても、征服者は最終的には中国文化に同化させられることになったのである。」(9、17、19~20)

⇒モンゴルは「同化させられることにな」りませんでしたし、マカオや香港の例からして、仮にポルトガルや英国が支那全土を征服するようなことがあったならば、やはり、「同化させられることにな」らなかったでしょうね。
 一事が万事、物事を、客観的な視点で見ようという姿勢が感じられないこの著者は、やはり、歴史学者としての資質に欠けている、と言わざるをえません。(太田)

(続く)