太田述正コラム#10239(2018.12.8)
<2018.12.8東京オフ会次第(その1)>(2019.2.27公開)
1 原稿に収録しなかった部分
(1)12月8日オフ会開催の意義について
本日は、大東亜戦争開戦日であり、杉山元らが満を持して、日本を、(対露に集約されていたところの)対欧米抑止、と、非欧米世界の解放、を期した戦いの総仕上げに乗り出させた日であるわけだが、12月(25日)は、1991年にソ連が崩壊した、すなわち、前者が成就した、月でもあり、そのことの祈念も兼ねて本日のオフ会期日を設定した次第だ。
更に、今年は、杉山らの営為をもたらすことになったところの、明治維新の150年周年でもあって、まことに意義深いものがある。
(明治維新の時期を巡る論議
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0
には立ち入らないが、私自身は、王政復古(1868年1月3日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%94%BF%E5%BE%A9%E5%8F%A4
を期日としている。)
(2)プロローグ–超絶的知力保有者達について
本題に入る前に一言。
最近、しばしば言及しているところの、「超絶的知力保有者」なし「隔絶的知力保持者」について、私は、彼らと「会話が成り立つ」か否かという言い方をしてきたが、最近では「対話が成り立つ」か否かという言い方に変えている。
これは、いわゆるガールズトーク的な「会話<は>成り立」ちうるからだ。
でも、実質的な中身を伴う「対話<は>成り立」たない。
その上でだが、どのような二人の間にせよ、対話が成り立つためには、単純化して言えば、学力に転化可能な知力・・(量とスピードで測られる)情報処理能力・・が隔絶していない必要がある。
さもないと、こういう意味での知力が優れている方の苛々感が募り、(隔絶度がひどい時は)「だから君は何が言いたいんだ」、(隔絶度がさほどひどくない時は)「要するに君が言いたいのはこういうことだろ」、といった類の合いの手が連発されることになり、知力が劣っている側は鼻白んでしまい、萎縮してしまって、対話にならない。
で、超絶的知力保有者の特徴なのだが、第一に、まんべんなく超絶的知力を持っているケースは殆どなく、大部分は、特定の分野・・といってもまことに様々だが・・に関して突出した超絶的知力を持っているケースが大部分であり、かつまた、第二に、その場合、その突出的超絶的知力を活かしきれていない者が大部分だ、という印象を私は持っている。
後ほど、ここだけの話として、私が良く知っている人々の中から、二人に原則絞って、具体的な説明をするつもりだ。
(3)本日の話の位置付けについて
さて、支那、朝鮮、日本を扱う予定である、1月26日の第二回の八幡市レクとも関係してくるのだが、国民の平均的知力では、朝鮮>日本>支那、で、それぞれ、概ね、世界1、2、3位なのに、どうして19世紀後半時点で、「発展度」が日本>支那>朝鮮だったのか、しかも、その日本が浮世絵のように、庶民芸術であって、当時、より「発展」していた欧米の芸術に大きなインパクトを与えたものまで生み出していたのはどうしてなのか、については、日本が、上は超絶的知力保有者達から下は庶民底辺層に至るまで、それぞれの能力を、支那や朝鮮よりも、また、分野によっては欧米諸国よりも、相対的に十全に発揮させることができたところの、高度のガバナンスが日本で確立していたからこそだ、と、私は考えている。
本日、後半でお話しする「朝鮮論III–朝鮮亜文明」は、そんな日本のネガとして、ガバナンスを喪失してしまったところの、日本のかつての兄弟国(地域)を取り上げたものだ。
で、日本のガバナンスが早期から確立していたということが事実だとして、その日本が、明治維新から先の大戦の終戦までのわずか80年足らずの間に、欧米世界による非欧米世界への侵略を跳ね返すとともに、非欧米世界、就中アジア、の復興の基盤を構築する、という世界史的大事業を達成することができたのは、維新後、このガバナンスが更に高められたからに違いない、と考えるのが自然だろう。
しかし、話はそう簡単ではない、ということが、私が到達した結論であり、明治維新以降の日本の選良達は、島津斉彬コンセンサス信奉者達ないし横井小楠コンセンサス(のみ)信奉者達、と、勝海舟通奏低音信奉者達、とに大きく分裂し、更に、前者は、島津斉彬コンセンサス信奉者達、と、横井小楠コンセンサス(のみ)信奉者達、とに分裂しており、この中の島津斉彬コンセンサス信奉者達が、世論の過半の支持を得つつ、次第に強力になりつつあった勝海舟通奏低音信奉者達に死命を制されるに至る前に、横井小楠コンセンサス(のみ)信奉者達をだまし、すかして手懐けつつ、帝国陸軍の中で超絶的ガバナンスを確立し、島津斉彬コンセンサスの前倒し達成を目指すところの、杉山構想の実現に向けて積極的に動き、それに成功した、と、私は考えている次第だ。
本日、前半でお話しする、「江戸時代の選良教育–後半(その負の遺産)」は、勝海舟通奏低音信奉者達の増殖基盤の形成、と、それに対抗するところの島津斉彬コンセンサス信奉者達ないし横井小楠コンセンサス(のみ)信奉者達の再生産基盤の形成、とを取り上げたものだ。
2 本日のオフ会そのものについて
私を除き、12名の出席者で、盛況でした。
しかも、談論風発で、途中から私が出る幕が殆どなくなったほどでした。
また、皆さん健啖で、駄菓子やケーキや笹かまぼこの差し入れもあったのですが、(私が一缶110円で提供する第三のビールの在庫ほぼ全てともども、)ほぼきれいになくなりました。
なお、七氏さんが私の代わりに、私のツィッターに書き込んだように、前回に引き続き、靴の取り違え「事件」が出来。
前回は、スリッパを提供したところ、今回は、サンダルを提供し、「被害者」にお帰りいただきました。
(続く)