太田述正コラム#7572005.6.18

<中共の経済高度成長?(その1)>

1 始めに

家内が上海で買ってきた本の二冊目は、スタッドウェル(Joe Studwell)(注1)の The China Dream. The Elusive Quest for the Greatest Untapped Market on Earth, Peofile Books, 2003(初版は2002)です。

(以下、特に断っていない限り、この本のほか、この本の書評であるhttp://www.amazon.com/gp/product/product-description/0802139752/ref=dp_proddesc_0/002-1455171-4350437?%5Fencoding=UTF8&n=283155(6月14日アクセス。以下同じ)、http://www.cefc.com.hk/uk/pc/articles/art_ligne.php?num_art_ligne=4807http://olimu.com/Journalism/Texts/Reviews/ChinaDream.htmhttp://www.asianreviewofbooks.com/arb/article.php?article=111http://www.findarticles.com/p/articles/mi_qa3745/is_200207/ai_n9147206#continue以下、http://www.leadingauthorities.com/21567/Joe_Studwell.htmhttp://www.redherring.com/Article.aspx?a=11939&hed=Chasing+the+China+Dreamhttp://www.rumormillnews.com/cgi-bin/archive.cgi?noframes;read=17469http://www.economist.com/surveys/showsurvey.cfm?issue=20020615、及びhttp://www.econ.usyd.edu.au/drawingboard/digest/0208/monk.html、そしてスタッドウェル自身の文章であるhttp://www.fcchk.org/correspondent/corro-apr02/apr-studwell.htm、更にスタッドウェルのインタビューであるhttp://www.chainlinkresearch.com/parallaxview/sep03/interview.htm、による。)

(注11997年から、自らが創刊したChina Economic Quarterly (CEQ)の編集長。

この本も邦訳が出ていませんが、この本については、邦訳が出ていないことが不思議でなりません。チャン(Gordon Chang)のThe Coming Collapse of China, 2001の方は、(私自身はこの本を読んでいませんが、)邦訳が出て、大変話題になったというのに、スタッドウェルの本は原題が今一つインパクト不足であったせいでしょうか。

 スタッドウェルはこの本の中で、(チャンの主張と同じなのですが、)中共の経済高度成長は持続できない、と主張しています。

 本の内容に入る前に、まずは支那経済の過去の栄光を振り返るとともに、その過去の栄光の復活が困難である理由としてしばしば挙げられてきた二点を押さえておくことにしましょう。

2 支那経済の過去の栄光

2000年前には支那の総生産は世界の四分の一を占めていました。1000年前にも四分の一弱を占めており、1820年には三分の一を占めるに至っていました。それ以降支那の経済がふるわなかったのは、産業革命の波に乗れなかったことによる逸脱現象であると言ってよさそうです。

2000年前から1820年までは、支那の経済力が世界に占める比率はおおむねその人口が世界に占める比率と同じだったことからすれば、現在支那の人口は世界の20%を占めているので、経済力も20%を占めるというのが本来の姿なのかもしれません。

ところが、中共が成立した直後の1950年には支那の総生産の対世界比は5%まで落ち込んでおり、この比率は1973年まで変わりませんでした。

別の角度から言えば、紀元1世紀に支那の一人当たり所得は450米ドル(1990年価格)であったところ、1950年にはそれが439米ドル(1990年価格)へと若干目減りした状態だったのです。

 (以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/4337203.stm(3月12日アクセス)による。)

3 栄光の復活が困難であるとされた理由

 (1)構造的制約

19世紀末から、欧米や支那の隣国の日本と比較して、支那経済はどうしてこうも停滞しているのかついて、欧米で文明論的な説明が行われるようになりました。

マルクス(Karl Marx)のアジア的生産様式論も一種の文明論だと言っても良いでしょうが、一番有名なのがヴェーバー(Max Weber)の宗教的文明論です。

ウェーバーは、「儒教と道教」(The Religion of China: Confucianism and Taoism。ドイツ語原著は1916年刊。邦訳は創文社1971)の中で、支那において、儒教は、国家宗教として現世とその秩序や因習への適応を教え、呪術の存在を黙認していたのに対し、道教は民衆の宗教として呪術とアニミズム的観念を積極的に育成する役割を果たしていたが、儒教と道教のいずれも近代資本主義の精神とは相容れなかったことから、支那は資本主義化できず、支那経済は停滞した、と主張しました。(http://www.soka.ac.jp/graduate/bunkei/thesis/ronbun/2003_kurihara.pdf。6月17日アクセス)。

 このウェーバーの主張と同工異曲の文明論的支那経済停滞論・発展制約論には事欠きません。

 チャンの主張も、どちらかというとこの系列に属するようです。

(続く)