太田述正コラム#763(2005.6.23)
<靖国問題について(その1)>
1 始めに
以前(コラム#704で)靖国問題を取り上げたことがありますが、報道を見る限り、中共当局及び韓国政府と日本政府との間の靖国問題に関する議論は、その後も全くかみあっていません。
靖国問題が外交問題になっている以上、本来は外務省レベルで、以下のような反論を相手方に投げかけ、相手側の再反論をひきだし、論点を十分整理し、解決策を用意した上で首脳レベルに持ち上げて、首脳間での決着を図るべきでしょう。
私の反論(案)、解決策(案)は以下のとおりです。
2 中韓双方に対する反論(案)
(1)靖国問題に関しては、先の大戦のみを問題視し、中韓にも関わる日清日露を含むその他日本が行った戦争に関しては不問に付す、という理解でよいか。仮にそうだとして、先の大戦のみを特に区別する理由は何か。
(2)戦犯のみが取り上げられて問題視されているが、先の大戦で戦犯とされて連合国によって処刑されあるいは投獄中に死亡した日本人(1945年まで日本人であった者を含む)中、サンフランシスコ平和条約(講話条約)発効までの間に・・つまりは戦争中に敵によって・・処刑されまたは死亡に至ったところの大部分の者について、戦死者に準ずる扱いを日本政府がしてきたのは論理的だと思うがどうか。
そもそも、戦死者の中には、「戦犯」該当者が含まれているはずだが、こちらは等閑視してよいのか。
(3)日本で毎年実施される戦没者慰霊式典では戦犯も慰霊の対象とされてきた(コラム#704)ことは周知の事実だが、今まで式典の中止ないし戦犯の慰霊の対象からの除外を求めなかったのはなぜか。
(4)戦犯中、A級戦犯だけを問題にするのはなぜか。ちなみに、BC級戦犯は「通例の戦争犯罪」で裁かれた人々だが、A級戦犯は、「平和に対する罪」だけで裁かれたわけではなく、その大部分は「通例の戦争犯罪」(を犯したB級戦犯の上官としての管理責任)でも裁かれている(注1)。
(注1)「ナチスドイツを裁くために連合国によって作成された国際軍事裁判条例(ニュルンベルク裁判の根拠、一九四五年)の第六条において犯罪のタイプとしてA項「平和に対する罪」、B項「通例の戦争犯罪」、C項「人道に対する罪」と三つに区分したことから、侵略戦争をおこして「平和に対する罪」に問われた国家指導者たちをA級戦犯class A war criminal、それ以外のB項とC項の犯罪を犯した者をBC級戦犯class B & C war criminalと呼ぶようになった。・・B級とC級犯罪は重なる部分が多いが、前者が戦時における敵国民への犯罪であるのに対して、後者は戦時だけでなく平時も含み、自国民への犯罪も対象としていることに大きな違いがある。・・日本についてはC級が適用されなかった・・東京裁判では<A級戦犯は>「平和に対する罪」が裁かれたと一般には理解されているがそれは不正確である。起訴理由にはA級だけでなくB級も含まれ、B級で有罪となった者だけが死刑になり、A級だけで死刑になった被告はいない。」(http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper47.htm。6月22日アクセス)
仮に、「平和に対する罪」で裁かれたことがA級戦犯だけを問題視する理由だとして、「通例の戦争犯罪」を問題視しないのはなぜか。また、開戦責任を問う「平和に対する罪」なる「犯罪」が国際裁判になじむと本当に考えているのか。
(5)靖国神社で合祀されているA級戦犯14名は、死刑に処せられた(東条英機等の)7名、終身刑ないし禁固刑を課されて獄中で死亡した5名、判決前に病死した2名だ(http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF(wikipedia1)。6月22日アクセス)が、問題視しているのはこの全員なのか、それともこの一部、例えば死刑に処せられた7名、だけを問題視しているのか。
(6)極東裁判には法的瑕疵が多い(注2)。極東裁判の多数派の裁判官が下した量刑、更にさかのぼれば、極東裁判の検察官が下した起訴不起訴の判断を絶対的に尊重することに果たして妥当性があるのか。
(注2)「原子爆弾の使用など連合国軍の行為は対象とされず、証人のすべてに偽証罪を問わなかった。また、罪刑法定主義・法の不遡及が保証されなかった。」更に、「ニュルンベルク裁判では、ドイツの法曹関係者の大半が裁判に(裁く側にも)協力しているが、極東国際軍事裁判では、日本の法曹関係者の裁判への協力は<弁護面を除いては>行われていない。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4(wikipedia2)。6月22日アクセス)
(7)日本は1952年から戦犯についても遺族年金や恩給の対象とする(コラム#704)とともに、サンフランシスコ平和条約第11条(注3)に則って、条約締結相手国11ヶ国の同意を得てA級戦犯は1956年に、BC級戦犯は1958年までに赦免し釈放した(wikipedia1)。仮に病気等の理由で死刑の執行が延期されてきたA級戦犯がいたとすれば、やはり赦免・釈放された可能性が高い。他方、判決前に病死したA級戦犯は当然無罪だ。判決後に獄中で病死したA級戦犯は生きていたら1956年に赦免・釈放されていただろうし、そもそも死刑に処せられたA級戦犯同様、死亡した時点で罪は消えているはずだ(注4)。
(注3)第11条(戦争犯罪):日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判(judgement)を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した1又は2以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。
(注4)近代刑法の原則によれば、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅する(wikipedia1)。なお、日本人の宗教意識にも、支那等とは異なり、死者を鞭打つ観念は存在しない。
遺族年金や恩給の対象としたことは間違っていたというのか。遺族年金や恩給支給決定を取り消し、既払い分は本人または相続人から返戻させるべきだというのか。
また、平和条約締結相手国11カ国の赦免・釈放の判断は間違っていたというのか。仮に間違っていたという認識だとすれば、この平和条約が第11条でオーソライズした(注5)ところの極東裁判の結果に依拠して議論をしてきたこと自体が成り立たなくなると考えるがどうか。
(注5)第11条の趣旨は、日本が判決に従うということであり、日本が裁判全体、すなわちそのプロセスや判決理由についてまで同意したという意味ではない(wikipedia1)。
百歩譲って赦免・釈放は間違っていたとしても、A級戦犯として禁固刑を課された重光葵元外相は、鳩山内閣の副総理・外相となり活躍した功績で勲一等を授与され、終身刑を課された賀屋興宣元蔵相は池田内閣の法相を務めた(wikipedia1)、という歴史はもはや覆せない。(両氏の勲章を剥奪するくらいのことはできるかもしれないが。)
(8)靖国神社への誰の参拝を反対しているのか。日本の首相だけか。天皇はどうか。閣僚は、衆参両院議長は、あるいは最高裁長官はどうか。それ以外の一般国民はかまわないのか。また、どうして一部の者だけの参拝に反対するのか(注6)。
(注6)これは、「反論」として提示すべきではないが、そもそも第一に、首相等は民主主義国家である日本では、一般国民の代表に過ぎない。一般国民は参拝できて首相等はだめだ、というのは民主主義になじまない発想だ。また第二に、A級戦犯特別視とも関係するが、先の大戦の開戦責任を当時の指導者だけに負わせる、というのも当時の日本が普通選挙に立脚した議会制が機能していた立憲君主国であったことからすれば、無理がある。(コラム#704)
(続く)