太田述正コラム#764(2005.6.24)
<中共の経済高度成長?(その6)>
(本篇は22日に上梓した。)
イ 経済高度成長の秘密
トウ小平の下での中共の経済高度成長の秘密は何なのでしょうか。
基本的にはまことに単純な話なのです。
中共が建国されたのが1949年でトウ小平が開放改革政策・・資本主義もどき経済政策・・を始めたのが1979年ですから中共(支那)が社会主義経済であったのは、わずかに30年です。しかも、その間にも劉少奇・トウ小平ラインの資本主義もどき経済政策が、大躍進の後、文革の前に実施されていたのですから、中共には資本主義もどきの経済の何たるかの皮膚感覚を身につけた人々が無数にいた(注18)、ということが第一点です。
(注18)これは、ロシアが、1917年のロシア革命の後の混乱期を経てロシア改めソ連がおおむね安定した1920年(http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/24-kansyou.html。6月22日アクセス)からゴルバチョフ(Mikhail Golbachev)によってペレストロイカが始まる1986年(http://db.gakken.co.jp/jiten/ha/520530.htm。6月22日アクセス)までをとれば66年間、ネップが終わる1928年からだと58年間も社会主義経済の下にあったため、1991年にソ連が解体した後、縮小されたロシアの資本主義もどき経済がうまく機能しないことと好対照だ。
第二点は、トウ小平が最高権力者になったことで、中共が爾後安定するという見方が確立したことです(注19)。
(注19)このことがいかに重要であるかは、中共当局が今年、日本を巻き込んだ台湾戦略を発動した(コラム#687?736にかけて17回連載した「風雲急を告げる北東アジア」シリーズ参照)結果、安定的投資先として中共に疑問符がついたため、日本企業が対中投資を控える動きが出てきており(http://www.nikkei.co.jp/neteye5/goto/index.html。5月12日アクセス)、台湾においては2000年から5年連続で増加した対中投資が今年に入って現実に大幅減少となったことが如実に示している。(http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050621AT2M2000W20062005.html。6月21日アクセス)
第三点は、そのような見方が確立した時に、ただちに香港の華僑が(PP45、52)、次いで1992年から93年の頃からは台湾の華僑が(PP68)、香港や台湾に近接する広東省や福建省を中心に中共への投資を始めたことです。血は水より濃いというわけです。そしてこの動きが、日本や欧米の中共への怒濤のような進出の呼び水になったのです。
第四点は、1972年に国交回復した日本が、1979年の中共の開放改革政策の開始と軌を一にして同じ年から開始した累計3兆3,000億円強の(戦後賠償含みの)ODA(http://www.sankei.co.jp/news/morning/22iti001.htm。6月22日アクセス)により、中共に効果的にカネと技術の移転を行ったことです。
ウ 経済高度成長が軌道に乗るまで
これだけお膳立てが整っていたのですから、トウ小平を頂点とする中共当局は、実際のところ、ほとんど何をやる必要もなかった、と言って良いでしょう。
そうです。中共経済は勝手に高度成長を始めたのです。
さはさりながら、その立ち上がりのところを、少し丁寧に見てみることにしましょう。
(続く)