太田述正コラム#10265(2018.12.21)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その12)>(2019.3.12公開)

 「それにしても、日本軍に打撃を与えることが、なぜ誤りだったのか。・・・
 <党中央への適時適切な>報告がなかった<わけ>ではない<のだ>。
 問題は、百団大戦の宣伝が中共の力を暴露したことである。
 この力は本来、日本に打撃を与えるために用いるものではなく、抗戦の勝利後、天下を取るために用いるものである。
 これが問題の本質である。
 しかしこのことをテーブルの上に並べることは具合が悪いので、「事前に毛沢東に報告がなかった」との嘘がでっち上げられたのだ。・・・
 <しかし、そもそも、>なぜ彭徳懐らはこの戦役を行おうとしたのだろうか。・・・
 まず第一に、百団大戦を行うのは中華民国<(国民政府=蒋介石政権)>のためではなく、中共自身の利益のためだったことである。
 ・・・中共の根拠地<たる華北>は日本軍の地盤拡張の圧力を受けていた。・・・
 それゆえ・・・部隊は、日本人の交通手段を破壊する行動を取ったのである。・・・
 <鉄道の>正太線への大規模な襲撃・破壊戦を行う<ことを決めたところの、>・・・討論に参加したのは、鄧小平<らであり、>・・・<この>日本に対する襲撃・破壊戦は八路軍高級将領の一致した意見であり、彭徳懐の個人的な主張ではない。・・・
 この<襲撃・破壊戦の>予備命令が中央軍事委員会に報告されたとき、軍事委員会主席の毛沢東は反対することなく、のちに<毛によって>指摘されるような<、百団大戦の>誤り<なるもの>に対する批判は見られなかった。・・・
 <それどころか、>第一段階の勝利が容易に得られたため、延安は欣喜雀躍し、毛沢東は電報の中で「百団大戦は真に人を奮い立たせるものだ。このような戦闘をさらに一、二回組織できないものだろうか」・・・と<まで>述べた<ている>。・・・
 <加えて、>中共中央書記局は、時局の趨勢に関する指示の中で次のように指摘した。
 「わが党の15万の大軍は敵後方で積極的に行動し(とりわけ今回の華北の百団大戦)、日本軍に重大な打撃を与え、全国人民にかぎりない希望を与えた。」<と。>・・・
 このとき毛沢東をトップとする中共中央内部には反対意見がなかったのみならず、再び「大規模な進攻行動」を組織し、「華北では百団戦役行動の拡大」を組織するよう督励したのである。・・・
 <これを受けて行われた>第二段階の戦闘の多くは、八路軍が戦ったことのない陣地攻撃戦だったことから大量の死傷者を出すことになった。
 そしてその責任は、整風運動、文化大革命の中ですべて彭徳懐に帰せられ、彼の罪状となった。・・・
 日本にとって鉄道の復旧は当面の急務であり、直ちに八路軍掃討作戦を始めた。
 以後、戦果拡大の宣伝の必要から、日本軍に対抗する反掃討戦を<、止むをえず、>百団大戦の第三段階と呼ぶようになった。・・・
 八路軍が初めて日本軍と本格的に交戦したこの<百団大>戦では、<中共側の>死傷者の数は甚大だった。・・・
 八路軍と、襲撃・破壊戦に参加した地方の武装勢力の合わせて5890人が犠牲になり、負傷者は1万1790人に上った。
 すなわち、死傷者総数は1万7680人だった。・・・
 巨大な代価を払って破壊した正太鉄道だったが、日本軍が防衛を強化して応急修理した結果、<わずか>一ヵ月で運行が回復し<ている>。
 この戦役の終結から二年もたたずして、延安で整風運動が始まり、政治的に王明を打倒し、毛沢東の絶対的な支配を樹立するとともに、政治、思想の引き締め運動を行い、百団大戦がここで初めて批判された・・・。
 さらに、1945年に開かれた中共第七回全国大会代表大会[七全大会]で再び批判を受けた。」(94~95、98、100、102、105~106、108~110)
 
⇒著者が、日本側による数字・・「<日本側がこの「戦役」に名前すらつけていないこともあり、>「日本側の全損害をまとめた史料は無いが、最大の損害を受けた独混第4旅団の記録でも戦死者は276人にとどまっている」のに対し、日本側記録<によれば、共産党軍側は、「遺棄死体:約17000」人、「捕虜:約2700人」にのぼる。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%9B%A3%E5%A4%A7%E6%88%A6 」(コラム#5892)・・に一切言及していないのは、中共側の損害が余りにも大きな印象を読者に与えると、自身の論調に水を差すことになりかねない・・毛による百団大戦批判に塩を送りかねない・・、と考えたためかもしれませんが、彼が、中共側、とりわけ、毛沢東お墨付きの主張、事実の表明、の歪曲性を口を極めて非難してきているというのに、そんな中共側の事実の表明・・死傷者数・・だけを引用する、という点のみをとっても、彼の論述は恣意的に過ぎる、と言わざるをえません。(太田)

(続く)