太田述正コラム#7662005.6.25

<捕鯨(その1)>

1 始めに

 私は、学校の給食や家の食事で時折鯨のしぐれ煮やカツレツを食べて育った世代に属します。

 学校では、日本では、捕鯨した鯨のほぼ全部位を、食用を含む様々な用途に活用しているということを、教科書の図を見ながら教わったものです。

 そんな私が1974年にスタンフォード大学に留学して、初めて35マイル離れたサンフランシスコに遊びに行った時のことです。たまたま立ち寄った自然史博物館のロビーで目にしたのが、捕鯨に反対する展示でした。

 鯨は高い知能を持っているので捕鯨してこれを食べるのは可哀想であり、しかも鯨が絶滅に瀕しているので捕鯨は中止すべきだ、という主旨だったと記憶しています。

 その時、人間が食用にしている数多の動物の中で鯨だけを特別視していることと、科学の成果を展示すべき博物館が、正規の展示室外とはいえ、このような政治的主張を織り込んだ展示を行っている(、あるいは許している)ことに反発した記憶があります。

 また、1988年に英国の国防省の大学校に留学した時のことです。ある日講師の一人が、本題から脱線して捕鯨禁止を当然視するような発言を行ったので、反論しようと質問事項をコーディネーターに提出したけれど、質問する機会が与えられず、悶々とした思いのまま帰宅したことがありました。

 現在、韓国で国際捕鯨委員会(IWCInternational Whaling Commission)(注1)の年次総会が開催されていることから、日本や英国等のマスコミで捕鯨問題が報道されており、この機会にこの問題の文明論的な意味を考えてみることにしました。

 (注1IWC1948年に設立され、日本を始め米国・英国・ロシア・フランス等の43カ国が加盟している(2002年現在)。IWCが規制対象としている鯨種は82種類の鯨類のうち13種類の大型鯨類(シロナガス・ミンク・マッコウ等)。IWCの加盟国のうち、日本は鯨類捕獲調査(調査捕鯨)を、ノルウェーは商業捕鯨を、また、米国・ロシア・デンマーク・セントビンセントは原住民生存捕鯨を行っている。クジラの管理に関する取り決めは科学的情報に基づき決定しなければならないものとされ、IWCの科学委員会は資源量の推定などクジラの管理に関する科学的な勧告を行っている。(http://www8.cao.go.jp/survey/h13/h13-hogei/2-2.html。6月23日アクセス)。

2 捕鯨問題の事実関係

 たかが鯨と言うなかれ。

 1853年のペリー(Matthew Calbraith Perry)准将率いる黒船の来航は、日本近海までやってきていた捕鯨船員の保護と食料・飲料水の確保のために幕府に開国を迫ることが目的だった(注2)ことを、よもやお忘れでは?

 (注2)米国を代表する文学作品の一つで、捕鯨がテーマであるメルヴィル(Herman Melville1819?91年)のMoby-Dick白鯨)が、黒船来航の直前、1851年に出版されている。

欧米では、捕鯨はもっぱら鯨油生産のために行われ、マッコウ油は蝋燭や洗剤、口紅などの原料に、ナガス油はマーガリンなどに加工されました。

しかし次第に、鯨油によって作られていた工業製品の原料が、ひまわり油・綿実油・パーム油・石油等に切り替えられて行きます。

 鯨油が必要不可欠ではなくなった結果、捕鯨を最初に中止した国は、(第二次世界大戦勃発、ということも背景にあったのでしょうが、)ナチス時代のドイツで1939年でした。次いで1940年に米国が捕鯨を中止します。

他方、日本では捕鯨は食用目的が主でその他の用途が従でした。

日本は対米開戦した1941年以来母船式捕鯨を休止していましたが、戦後、日本政府の要望に応え、マッカーサー連合国軍最高司令官は、「食糧難緩和のために鯨肉を供給し、鯨油については世界市場に供出すること」を条件に連合国中の英、オーストラリア・ニュージーランド・ノルウェー四カ国の反対を押し切って、1946年に母船式捕鯨を再開させます。

鯨油だけでなく鯨肉にも商品価値がある日本にとって捕鯨は比較優位産業であり、戦後の世界の年間捕鯨数が15,000?17,000頭(シロナガス鯨換算)で殆ど変わらない中で、日本の捕鯨数は次第に増え、1960年には日本は世界一の捕鯨国になるのです。

しかし、その頃から乱獲により鯨資源の枯渇が明らかになり、世界の捕鯨数も日本の捕鯨数も急速に減少して行き、鯨油目的で捕鯨を行ってきた国の中から捕鯨を中止する国が再び出てきます。

1970年代に入ってからは、1975年からグリーンピースが反捕鯨活動を開始したことに象徴されているように、鯨目(注3)全体を高等生物として、一切捕獲・殺害を禁じることを目指す運動がアングロサクソン諸国を中心に活発化してきます。

(注3cetacean。鯨類・イルカ類・ネズミイルカ類からなる。

こうして1863年に英国、1964年にニュージーランド、1973年にカナダ、1975年に南アフリカ、1978年にオーストラリア、とアングロサクソン諸国が次々に捕鯨を中止して行くのです。(1970年代までに捕鯨を中止した国9カ国中6カ国がアングロサクソン諸国です。)

そしてついに1982年には、5年後の1987年からの商業捕鯨中止(モラトリアム)がIWCで採択されるに至ります。

その後、日本はやむなく1987年に商業捕鯨は中止する(注4)ものの、調査捕鯨を開始します。1992年には、日本同様に調査捕鯨を実施してきたアイスランドがIWCを脱退して商業捕鯨を再開します。また1993年には、ノルウェーが留保していた権利を行使して商業捕鯨を再開し、現在に至っています。

(以上、捕鯨史については、特に断っていない限りhttp://www.whaling.jp/history.htmlhttp://www.town.taiji.wakayama.jp/museum/history/(どちらも6月23日アクセス)、及びhttp://www.greenpeace.or.jp/campaign/oceans/factsheet/(6月24日アクセス)による。)

 (注4)日本もノルウェーのように、商業捕鯨の権利を留保していたが、米国が、日本が留保を撤回しなければ米国の200カイリ経済水域から日本の漁船を閉め出すと日本を「脅迫」し、米国の200カリ内の日本の漁獲額が鯨の漁獲額の10倍にも達することから、やむなく日本は1986年に留保を撤回した。ところが米国は約束を破り、1988年に200カリ内から日本の漁船を閉め出してしまった。(http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/2051091.stm。6月24日アクセス)