太田述正コラム#7682005.6.27

<捕鯨(その3)>

「私はかねてから、イギリス文明と日本文明は、・・「多元主義と寛容の精神」<や>「社会・政治の基本構造(edifice)の安定を揺り動かすことなく、最も抜本的な革命を発動(affect)することを知っている」点<等、>アングロサクソン以外の(西欧文明等の)どの文明に比べても互いに共通点が多く、従って日本人は、イギリスを最もよく理解できる立場にあると指摘してきました。」(コラム#84

このような「文明の親縁性といい、保有するパワー(経済力及び文化力)といい、米英両国を中心とするアングロサクソンにとって、日本は最大かつ最良の同盟国ということにならざるを得ない」(コラム#224)のであり、「日本は一刻も早く米国の保護国的地位から脱し、米国の対等なパートナーとして、集団的自衛権の行使ができるように措置すべきです。その上でまずは、もう一つのアングロサクソン国、オーストラリアとの連携を強めるべきでしょう。このたびのイラクにおける日豪連携・・は、その方向性を示すものとして注目されます。」(コラム#654) 以上が、私の基本的な考え方であることは、ご承知の方も多いと思います。

 その日本とアングロサクソン諸国とが真っ向からぶつかり合ったのが先の大戦です。

 私はこれまで、これはできの悪い(bastard)アングロサクソンたる米国が最大の責任を負うべき、世界史上の一時的な逸脱現象である、と繰り返し指摘してきました(コラム#100116200346)。

 しかし、この種の逸脱現象は両者間でいつでも起こり得るのであって、先の大戦の時のように全面的対決に至るケースもあれば、捕鯨問題のように、全般的には良好な関係が維持されている中で、部分的に鋭い対決状態を呈するケースもある、と認識すべきなのです。

 ではどうして、先の大戦や捕鯨問題の原因は文明の対立であると私が考えているか、についてご説明しましょう(注9)。

 (注9)以下はあくまでも試論であり、ぜひご意見等を寄せていただきたい。

 ここでは、アングロサクソン文明と日本文明がそれぞれいかなるものであるかについての詳しい説明は省きますが、アングロサクソン文明が近代の殆ど全てを生み出した文明であることは私が力説しているところであり、この文明が文化や富を生み出す力でいまだに世界をリードしていることは周知の事実です。

 ちょっと日本人の皆さんに想像力を働かせてみていただきたいのですが、仮に日本文明がそうだったとすれば、他の文明を皆さんはどうご覧になるでしょうか。恐らく、一段低いものとして見下されるのではないでしょうか。そして、その「一段低い」他の文明に対しては、自分の文明に害を及ぼす可能性のある部分は抹殺ないし無害化し、その上で、害を及ぼさないと考えられる部分は世界遺産ないし天然記念物的に可能な範囲で保全しつつ、できる限り自分の文明を普及しようとされるのではないでしょうか。

 アングロサクソンは、まさにこのような、階層的世界観を抱いているのです(注10)。それは、最上階の四階にいるアングロサクソンが、身内である三階の準アングロサクソン(スイス・オランダ・北欧諸国等)、よそ者であり潜在敵であるところの二階の(上記以外の)欧州諸国等、そして保護すべき対象であるところの一階のサハラ以南のアフリカ諸国等、に君臨しているという四層からなる世界観です。

 

 (注10)このような階層的世界観を持ったアングロサクソン文明以外の文明として、古典ギリシャ文明と支那文明がある。現時点に立って振り返ってみると、支那文明の(東夷・南蛮・西戒・北狄を蔑視する)階層的世界観は無知に基づく奢りにほかならなかったが、古典ギリシャ文明は、アングロサクソン文明と並ぶ人類文明の白眉であり、(バルバロイを蔑視する)階層的世界観を抱いて当然だった。いずれにせよ、古典ギリシャ文明はローマ文明に飲み込まれて事実上消滅してしまったし、支那文明は見る影もなく落魄して現在に至っている。

     注意すべきは、階層的世界観イコール人種差別的世界観ではないことだ。

古典ギリシャ文明(ヘレニズム文明を含む)で言えば、アレクサンドロス(Alexander大王は、「東西を融合し、ひとつの帝国にまとめようとした。ペルシャ人の若者をマケドニア軍に編入し、マケドニア式の訓練をおこなった。いっぽう、自らはペルシャの生活様式をとりいれ、東方の女性と結婚し、士官たちにも東方から妻をめとることを奨励した」(オンライン・エンカルタ百科事典ダイジェスト。6月25日アクセス)し、支那文明は、民族や人種を問わぬ、漢文を書き言葉として用いることができる人々(漢人)による文明だった。

アングロサクソン文明に関しても、最初からケルト系のブリトン人を主体としてそれにゲルマン系のアングロサクソン等が混じるという雑多な人々が担い手だった(コラム#379)こともあってか、イギリス人も米国人も、人種的純粋性への執着などは持たない。

一つだけ例を挙げれば、ネルソン(Horatio Nelson)提督率いるイギリス艦隊がナポレオンのフランス・スペイン連合艦隊を屠り去った、1805年の有名な地中海トラファルガー沖海戦(Battle of Trafalgar)だ。イギリス艦隊の総兵力は18,000人だったが、その構成を見ると、当時のイギリス海軍がいかに国際色豊かな組織であったかが分かる。すなわち、イギリス人のほか、約四分の一の4,000人がアイルランド人であり、その他トルコ人・支那人・フランス人・イタリア人・米国人・アフリカ人等、がいた。ネルソンの旗艦ビクトリー(HMS Victory)の828人の乗組員だけ見ても、イギリス人・西インド諸島人・米国人・オランダ人・イタリア人・フランス人・マルタ人・アイルランド人がいた。ちなみに総員中最年少は8歳、最年長は68歳であり、また、女性が1人いた。http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/4110478.stm。6月22日アクセス)

こういう雑多な構成の乗組員で、当時としては最もハイテクであった軍艦からなる艦隊を一糸乱れず動かしたのだから、ネルソンが近代マネージメントの祖と言われる(コラム#128)のも当然だ。

 アングロサクソンのユニークさは、動物の世界まで階層的世界観を持ち込んでいることです。

 つまり、動物を、犬猫等の愛玩動物・牛豚馬等の有用動物・その他の動物、の三つに明確に仕分けし、愛玩動物は人間に準じる存在としてその殺傷を禁じるとともに安楽死の対象とし、食用等の有用動物は石油等と同様厳格な資源管理の対象とし、その他の動物は人間に害をなさない限り、自然環境と同様保護の対象とするのです。

 ところが、アングロサクソン以外にとってまことにはた迷惑なのは、人間界についても動物界についても、アングロサクソンが時々勝手に線引きを変えてしまうことです。

 先の大戦は、義和団の乱当時に、アングロサクソンの総意によって一階から三階に二階級特進した日本(コラム#754)が、一階の支那の人々を迫害していると(半ば意図的に)曲解した米国・・アングロサクソンの総帥になりつつあった・・が、日本を二階に降級させたために起こった、と見ることができます。

 そして捕鯨問題は、アングロサクソンが、かつて有用動物に仕分けされていた鯨について、それが有用でなくなった頃にたまたま「高等」哺乳類であることが判明したこともあって、これを勝手に愛玩動物に仕分け直したために起こった、と見ることができるのです(注11)。

 (注11)アングロサクソンは、かつて「その他の動物」扱いだったイルカについても、鯨目に属すが故に鯨と同様「愛玩動物」に仕分け直し、イルカを日本が「虐殺」していることに対し、猛烈な抗議運動を開始して現在に至っている(http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/this_world/3956355.stm200411月9日アクセス)。

 以上のような差別的なアングロサクソン文明に対して、人間(個人・人種・民族・文明)相互はもとより、人間を含むすべての動物相互、ひいてはすべての生き物相互を差別しない、一視同仁の日本文明は強く反発し、その結果両者の衝突、とあいなるわけです。

 アングロサクソン文明も日本文明も、極めて普遍性のある文明であると思いますが、非差別性の点に関しては、日本文明の方により普遍性があります。

このことをアングロサクソンに理解させるためにも、残念ながら先の大戦では日本は敗れるべくして敗れたけれど、捕鯨問題では負けるわけには行きません(注12)。

 

(注12)捕鯨問題では、「二階」のノルウェーが前述したように日本と共闘している(http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/4530415.stm。6月24日アクセス)。しかも、韓国も、そして中共までもが日本寄りの姿勢を見せているhttp://www.asahi.com/international/update/0623/008.html(6月23日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/4123826.stm(6月24日アクセス))。