太田述正コラム#770(2005.6.29)
<イランの新大統領誕生(その2)>
3 なぜアフマディネジャドなのか
(1)表見的理由
それにしても、どうしてイラン国民はアフマディネジャドを選んだのでしょうか。
6月17日に行われた第一回投票(投票率62.66%)(注6)で、彼は下馬評を覆してラフサンジャニ(21.0%)に次いで第二位(19.5%)に食い込み、24日に行われた上位二候補による決選投票(投票率(59.6%)では、アフマディネジャド61.7%、ラフサンジャニ35.9%と圧勝しました(http://en.wikipedia.org/wiki/Iranian_presidential_election,_2005。6月28日アクセス)。
(注6)1014名が大統領選への立候補を希望したが、護憲評議会は改革派を全部オミットする等の形で6名の立候補者を選定した。これに最高指導者のハメネイ師が介入し、改革派の2名を追加させた。その後最初の6名のうちの1名が立候補を辞退し、結局7名で大統領選は戦われた。
これは、アフマディネジャドが(これまでの大統領とは違って)法学者ではないこと、そして彼の庶民的な出自と生活ぶり、更に廉潔さ、及び彼が官選テヘラン市長として行政規律を確立した手腕、を有権者が買ったからだ、といった説明することが一応可能です(http://www.csmonitor.com/earlyed/early_world062405.htm(6月25日アクセス)及びhttp://www.nytimes.com/2005/06/26/international/middleeast/26iran.html?pagewanted=print(6月26日アクセス))(注7)。
(注7)彼の略歴は次のとおり。鍛冶屋の7人の子供の四番目としてテヘランの南60マイルの場所で生まれ、幼少時に家族と共にテヘランに移り住む。イスラム系のテヘランの理工系大学で土木工学を学び、交通工学の博士号を取得。イランイラク戦争中は革命防衛隊(Revolutionary Guards)の部隊長の一人として活躍。その後、イラクの北西の州の知事に任命され、更にテヘラン市長に任命される。((http://observer.guardian.co.uk/international/story/0,6903,1514905,00.html。6月26日アクセス)
また、彼はbasij(イスラム風紀が遵守されているかどうかを監視する民兵組織)の一員であったという(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/06/24/AR2005062401696_pf.html。6月26日アクセス)。
(2)根源的理由
しかしより根源的には私は、1979年のイスラム革命をもたらしたイスラム教シーア派原理主義化への熱情(注8)がイラクの人々の間で蘇ったことが、フマディネジャドの当選につながった、と考えています。
(注8)イラン人とイスラム教シーア派とのご縁は以下のとおり。
イラン人はアフラ・マズダ(Ahura Mazda)神信仰(ゾロアスター教)という、一神教の最古形態の一つを生み出した人々であり、同じ一神教であるイスラム教に余り違和感を抱かなかった(http://www.salamiran.org/IranInfo/General/History/。6月28日アクセス)。このこともあって、641年のアラブ人によササン朝(Sassanid Dynasty)ペルシャの征服を契機にイランの人々はあっというまにイスラム教(スンニ派)に改宗する。ただし、スンニ派からシーア派に切り替わったのは、サファーヴィ朝(Safavid Dynasty)初代の皇帝(Shah)イスマイル(Ismail)1世(治世1502?1524年)が、スンニ派のオスマントルコに対抗するために、臣民達をシーア派に強制改宗させたからだ。(http://www.vohuman.org/Article/Islamic%20era%20histroy%20of%20Zoroastrians%20of%20Iran.htm及びhttp://www.sogol.com/WHP/IINT/HL.htm(どちらも6月28日アクセス))
私はイスラム教について、「イスラム圏においては、イスラム化→イスラム原理主義化→非世俗化→社会・生活規制の強化→反主知主義/自由の抑制→「先進」地域との所得等格差の増大→→イスラム化→(以下、同じ事の繰り返し)、という悪循環が進行する」(コラム#24)、という厳しい見方をしてきたところです。
私は、この悪循環から脱却するためにはイスラム教の世俗化しかない、と主張してきました(コラム#24)。しかし、イスラム革命以降のイランの歩みを見ていると、このことがいかに困難であるかを改めて痛感させられます。
とはいえ、イスラム圏の中で、例外的にイスラム教の世俗化にほぼ成功した人口大国にトルコがありますし、またそこまでは行かないけれど、イスラム教の原理主義化に歯止めをかけるのに成功しつつある人口大国としてパキスタン等があります。(トルコとパキスタンについては、煩瑣なので以前のコラムを一々挙げない。)この二カ国はどちらも、やはり人口大国であるイランの隣国でもあります。
ではイランが、トルコやパキスタンと違って悪循環過程に陥ってしまったのは、一体どうしてなのでしょうか。
(続く)