太田述正コラム#10297(2019.1.6)
<謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』を読む(その26)/皆さんへの問いかけ(続x5)>(2019.3.28公開)

 「毛沢東は実に幸運だった。
 窮地にあったとき、日本が侵略戦争を発動し、中国人の民族感情が高まり、一致して外[日本]に当たるべしとの機運が起こった。

⇒1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
は、杉山らと毛沢東との共同謀議によって惹起させられたものであると思われる、と私が主張するに至っていることはご承知の通りです。
 そうだとすれば、日支戦争の勃発は、毛にとって幸運な棚ぼただったどころか、その正反対であり、まさに、毛自身が積極的に関与することによって実現に漕ぎつけたものだったのです。(太田)

 またコミンテルンが国際統一戦線の結成を命令した<(注37)>結果、生き延びる一縷の機会を得た。

 (注37)「コミンテルン<の>・・・7回目であり最後の大会<が>1935年7月25日から8月20日にかけてモスクワで開催され、そこには57か国、65の共産党から510名の代表が出席している。会議はファシズム反対、戦争反対の議論に加え、資本主義攻勢反対の一国的及び国際的統一戦線及び人民戦線の徹底的展開並びにその効果的活動方針を決定している。スポーツ・宗教などの活動にも浸透することが求められた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3#%E7%AC%AC7%E5%9B%9E%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%B3%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E4%BC%9A

⇒支那における、中共党内外のマルクス・レーニン主義者達の多くは、国共の統一戦線構想実現に動いたでしょうが、毛沢東は、基本的にそんな動きには反対であり、現に、すぐ後で記すように、1936年12月の西安事件の際、断行しておれば、国共の合作(統一戦線)構想など雲散霧消していたはずの、蒋介石殺害を、彼が断行しようとしたところ、横やりが入ったために中止した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%AE%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
のです。(太田)

 <更に、>1935年、<中国>国民党第五回全国代表大会[五全大会]が開かれ、各派が団結して「安内攘外」、つまり紅軍を一挙に消滅し、その後再び全面的な抗戦に入ることを主張した。
 <これを受け、>各地から集められた大軍が<中共の本拠>を包囲していたとき、張学良が西安事変を起こして中共を救い、まさに窮地の中で道が開けた。・・・」(168)

⇒杉山元は、1934年から、名ばかりの参謀総長である閑院宮の下で、事実上の参謀総長であるところの、参謀次長に就いており、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
その杉山、と、1935年1月に、事実上の中共最高指導者になったばかりの毛沢東、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%BE%81
との間で、早くも1935年中には、双方の阿吽の呼吸で提携関係が樹立されるに至っていたのではないか、と私は見るに至っています。
 既に、この時点で、(帝国陸軍と提携関係を樹立した)中共は、国民党に対して、窮地に立つどころか、絶対的優位に立つに至っていた、と見るに至っている、ということです。
 この絶対的優位を背景に、毛は、国民党が中共殲滅に乗り出してきた時に、それよりも抗日を優先して欲しいと願っているところの、ソ連及び米英、が、こぞって蒋介石に圧力をかけている状況を読み取り、蒋介石に対し、「安内攘外」政策転換を行う名目を与えて差し上げよう、と、(進んで中共の手先となっていた)張学良から密かに話を持ち掛けさせ、だまして西安に蒋介石をおびき寄せることに成功し、殺害しようとした寸前で、スターリン(ソ連)から強硬な横やりを入れられてそれを止むなく断念し、国民党の「安内攘外」政策の転換だけで手を打った、と考えれば、全ての話の辻褄があいます。
 仮にそうだったのだとすれば、この時点で蒋介石を殺せなかった結果、国民党の決定的弱体化の時期、すなわち、米英ソの狂奔的国民党支援の時期、ひいては日本の対米英開戦の時期、が、大幅に先に延びることになった、ということになるはずです。(太田)

(続く)
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           –皆さんへの問いかけ(続x5)–
<US>

≫「私」、「AとB」、「その他」、の三グループを分けるものは一体何か、ということ。(コラム#10254。太田)

 ペリリューの誤訳の件、気になって色々調べているうちに、ふと思ったのですが、以下のような理解でよろしいでしょうか?

「私」- 理系思考。第一の人生中(こだわりに対して真剣)。探求する対象が人間
「AとB」- 理系思考。第二の人生中(関心示すがこだわり度がレジャーレベル)。探求する対象が人間ではない(Aさん、Bさんともとことん追求する分野が別にある)
「その他」- 文系思考。

 これを一言で言うと、
・方向性の違い
・興味方向性の違い

 いかがでしょうか?

<太田>

 方向性は悪くないですが・・。
 これ、結構、良問でしたねー、なんて自画自賛しちゃって。
 この問いかけの意味が理解できるほぼ全ての人間が正解・・私の想定している極めて普遍的にして単純な解答以外にも正解がありうることを私は最初から否定していませんが・・を見つけられないのはどうしてか、そのほぼ全ての人間の共通点は一体何だろうか、を考えてみる、という手もあるかもしれませんよ。