太田述正コラム#10309(2019.1.12)
<金文学「毛沢東は日本軍と共謀 「阿片」で巨利!」を読む(その3)>(2019.4.3公開)

 毛沢東は、1945年4月、延安で開かれた中共第七次全国代表大会の講話で、次のように語っています。
 「たとえ、われわれがすべての根拠地を喪失したとしても、東北(満州)さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築くことができるのだ」・・・
 日本の代わりに満州国を引き取った毛沢東は、満州国の五族共和<(注5)>の理念を受け継ぎました。

 (注6)「五族協和(・・・Five Races Under One Union)とは、満州国の民族政策の標語で「和(日)・韓・満・蒙・漢(支)」の五民族が協調して暮らせる国を目指した。清朝の後期から中華民国の初期にかけて使われた民族政策のスローガン「五族共和」に倣ったものであるが、こちらの「五族」は「満・蒙・回・蔵・漢」を指しており構成が異なる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%97%8F%E5%8D%94%E5%92%8C_(%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD)
 「五族共和は、中華民国北京政府が掲げていた漢族、満州族、蒙古族、回(現在の回族ではなくウイグル族など新疆のイスラム系諸民族を指す)およびチベット族の五民族の協調を謳ったスローガン。中華民国北京政府を象徴する民族統一を目指すためのスローガンとして、北京政府の・・・1912年から1928年までの・・・国旗・五色旗と関連付けて考えられた。(ただし五色のどの色がどの民族にあたるかは公式に定められたことはない)
 五族共和はもともと革命派のスローガンではなく、立憲派が革命派の排満論に対抗して提唱した五族不可分論を起源としている。辛亥革命勃発後、各省代表が中華民国の成立について話し合った際には、中華民国のスローガンとして採用された。
 五族共和は、1912年元旦に中華民国が成立した際に孫文が南京で行った中華民国臨時大統領就任演説でも掲げられていた。この臨時大統領就任宣言において、「漢満蒙回蔵の諸地を合して一国と為し、漢満蒙回蔵の諸族を合して一人のごとくする。これを民族の統一という」と孫文は述べている。しかし、孫文自身は臨時大総統就任時と北方で演説した際にしか五族共和には言及しておらず、北京政府と対決後は五族共和は誤りであったと主張し、もっぱら大中華主義による同化主義を進めていくようになる。
 なお孫文はそもそも五色旗を嫌い、国旗制定論争時には中国同盟会の青天白日旗を採用するように主張したが、却下されている。
 清朝の政体は五族のそれぞれが別の国家とも言える政体を維持し、清朝皇帝はその五つの政体に別個の資格で君主として君臨するという一種の同君連合であった。そのため、漢族社会に深く溶け込んでいた満州族を除くモンゴル(蒙古族)、西域ムスリム社会(回)、チベットの実質三ヵ国は、漢族による中華民国政府の統治下に置かれることをよしとせず、清朝皇帝権の消滅をもって独立国家であると主張した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%97%8F%E5%85%B1%E5%92%8C

 現代中国が唱える民族平等、少数民族尊重、多民族共存などの原則は「満州国」の原則から学んだものです。

⇒「五族・・・」については、清朝後期から中華民国初期にかけての理念が満州国や中共に受け継がれた、ということのようである以上、筆者の主張は牽強付会です。(太田)

 日本がつくり上げた「満州国」から建国理念を教えてもらったからこそ、毛沢東は「日本の侵略」に感謝すると言ったのです。

⇒建国理念を云々するのなら、王道楽土(注7)の方でしょう。

 (注7)「アジア的理想国家(楽土)を、西洋の武による統治(覇道)ではなく東洋の徳による統治(王道)で造るという意味が込められている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%81%93%E6%A5%BD%E5%9C%9F

 「西洋文化の総括と超克を標榜し」たところの、1942年に打ち出された、「近代の超克」概念の中身が論じられることは余りありません
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%81%AE%E8%B6%85%E5%85%8B
が、矢野暢の『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』の書評
http://e-satoken.blogspot.com/2014/07/199420.html
を読む限り、やはり、それは、正しい問題意識を設定しつつも、近代についての認識が不十分であったために、誤った解答を導き出してしまったもののように思われます。
 「近代化=軍事目的でのアングロサクソン文明継受」(コラム#10292)=覇道、と捉えれば、というか、満州事変を起こした頃の帝国陸軍の指導者達がそう捉えていたからこそ、彼らは、「王道楽土」を満州国の建設理念に据えたのだ、と私は考えるに至っています。(太田)

 いわば、中華人民共和国は、満州国の拡大コピーだったと言ってもいいでしょう。

⇒この結論だけは、当たらずと雖も遠からじです。(太田)

 満州国によって莫大な利益を得たのは、日本ではなく、毛沢東の中国でした。・・・
 <このように、>近現代史において、日本は中国・朝鮮に恩恵だけを与えてきたのです。」

⇒ここは、概ね同意です。(太田)

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[歴史通について]

 「ワック・マガジンズから出版されている雑誌(原則偶数月9日発売)。WiLL別冊として2009年(平成21年)3月創刊。2010年(平成22年)3月発売分(第5号)より独立創刊するとともに刊行形態も隔月刊となるも、Will編集長だった花田紀凱の独立の余波を受け本誌編集長の立林昭彦がWiLL編集長にスライド就任して以降2017年から不定期刊行。
 東アジア関連の近現代史を中心に、保守的な観点からの論考を多く掲載している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E9%80%9A
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(完)