太田述正コラム#10321(2019.1.18)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その2)>(2019.4.9公開)
⇒丸山が、欧州文明事大主義者であった以上、求めるのも詮無いことながら、彼が、古学者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%AD%A6
達の中で、陽明学者の中江藤樹(1608~48年)や熊沢蕃山(1619~91年)や兵学者の山鹿素行(1622~85年)ら幕府に弾圧されるか幕府と関わらなかった人々
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%A8%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E8%95%83%E5%B1%B1
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E9%B9%BF%E7%B4%A0%E8%A1%8C
ではなく、よりにもよって、朱子学にこそ批判的であったけれど幕府べったりであった荻生徂徠(1666~1728年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%BB%E7%94%9F%E5%BE%82%E5%BE%A0
がお気に召したのは、前三者に、日本文明至上主義者的ニュアンスを嗅ぎつけたのに対し、徂徠は、支那文明至上主義者的であって、(程明道や王陽明以外の)支那の儒者達と共通するところの、君子・非君子峻別論に立脚していた(上掲)ことから、ドイツ(欧州)の中世・近世・近代・現代なる段階的発展史の特定段階たる(近代化によって克服されるべき)近世の絶対主義時代に適合的な日本の識者として「ふさわしかった」からに他ならない。(太田)
「「自立した個人」を目指す丸山の思想・・・
第二次世界大戦中に執筆した『日本政治思想史研究』は、ヘーゲルやフランツ・ボルケナウ<(注1)>らの研究を日本近世に応用し、「自然」-「作為」のカテゴリー・・『「である」ことと「する」こと』・・を用いて儒教思想(朱子学)から荻生徂徠・本居宣長らの「近代的思惟」が育ってきた過程を描いたものである。・・・
(注1)Franz Borkenau(1900~57年)。[ユダヤ人の血が混じる。独共産党員/コミンテルン工作員として出発。ライプチヒ大卒。]『封建的世界像から市民的世界像へ』が「主著で、・・・封建社会の支配的イデオロギーとして中世哲学(トマス・アクィナスに大成されたスコラ哲学)を挙げ、ルネサンス、宗教改革を経て、市民社会のイデオロギーが生まれるまでを論じている。17世紀初めに機械論が勝利を収めるとして、ルネ・デカルト、ピエール・ガッサンディ、トマス・ホッブズ、ブレーズ・パスカルまでを取り上げている。・・・
1937年・・・著書『全体主義という敵』で、ファシズムと共産主義の実質的な同一性を記し、ロシアは「赤いファシズム」、ナチス・ドイツは「褐色のボルシェヴィズム」と呼んだ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%A6
https://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Borkenau ([]内)
また、明治時代の思想はデモクラシー(民権)とナショナリズム(国権)が健全な形でバランスを保っていたと評価し、特に日本近代を代表する思想家として福澤諭吉を高く評価し<た。>・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7
⇒丸山が、軍事音痴であったことも与って、(島津斉彬コンセンサスの熱烈な信奉者であったところの、)福澤諭吉を完璧なまでに誤解しており、だからこそ、あろうことか、その心酔者になってしまった、ということにお気付きだろうか(コラム#10238参照)。(太田)
「丸山は日本において、自立化する個人のタイプ(I)が育たなかった原因を、つぎのように指摘している。
日本における統一国家の形成と資本の本源的蓄積の強行が、国際的圧力に急速に対処し「とつ国におとらぬ国」になすために驚くべき超速度で行われ、それがそのまま息つく暇もない近代化――末端の行政村に至るまでの官僚制支配の貫徹と、軽工業及び巨大軍需工業を機軸とする産業革命の遂行――にひきつがれていったことはのべるまでもないが、その社会的秘密の一つは、自主的特権に依拠する封建的=身分的中間勢力の抵抗の脆さであつた。
明治政府が帝国議会開設にさきだって華族制度をあらため<たことに象徴されているように、欧州>に見られたような社会的栄誉をになう強靱な貴族的伝統や、自治都市、特権ギルド、不入権をもつ寺院など、国家権力にたいする社会的なバリケードがいかに本来脆弱であったかがわかる。
・・・「立身出世」の社会的流動性がきわめて早期に成立したのはそのためである。
政治・経済・文化あらゆる面で近代日本は成り上り社会であり(支配層自身が多く成り上り、構成されていた)、民主化をともなわぬ「大衆化」現象もテクノロジーの普及とともに比較的早くから顕著になった。(『日本の思想』岩波新書p44-45)
⇒個人主義/資本主義はアングロサクソン文明(と米国文明)諸国にのみ存在し、同文明(と米国文明)諸国においてのみ機能しているのであって、階級社会である(ドイツを含む)欧州文明諸国は、個人主義化/資本主義化をアングロサクソン文明継受(近代化)における重要課題と捉えたけれど、結局は個人主義化/資本主義化に失敗している。
だからこそ、現在、ドイツは従業員参加型資本主義社会なのであり、フランスは国家資本主義社会なのだ。(典拠省略)
だから、というか、いわんや、日本が個人主義化/資本主義化に「成功」しないのは当たり前だ。(太田)
(続く)