太田述正コラム#10327(2019.1.21)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その5)>(2019.4.12公開)

 「この十数年の反動期をいわば歴史的な真空として、単に「ありし昔のよき日」にかえるだけでは問題はすこしも解決されないということが各分野で注意されはじめた。
 しかし他の分野、たとえば法律学や経済学においては、ともかく一応は古い道具のままで現実の素材を取り扱うことが可能である。・・・

⇒明治以降の日本の法律は、大陸法系、とりわけドイツ法を継受したものであったことから、法律学に関しては丸山の言うことも分かりますが、日本の経済は、私見では、「この十数年の反動期」の間にアングロサクソン流の資本主義から日本型政治経済体制へと変貌を遂げていたのであり、もはや「古い道具のままで現実の素材を取り扱うことが可能」ではなくなっていたことに、彼は気付いていません。
 要は、丸山は、帝国陸軍についてと同様、日本の経済についても、まともにフォローする意欲も能力もなく、従って、全く理解できていなかった、ということです。(太田)

 ところがこと政治学となると、今日の政治的現実に対しては、我国のこれまでの政治学の体系や問題設定は、ほとんどまったく方向指示の能力を持っていないのである。
 たとえば過去の政治学界を久しくにぎわしたテーマである、政治概念と国家概念といずれが先行すべきかというような論議<(注2)>からして、ひとは現代の政治に対して、いかなる実質的寄与を引き出す事が出来るであろうか。

 (注2)編者注:「大正末年から昭和の初期にかけて、新カント派の方法論や多元的国家論の影響の下に、戸沢鉄彦、蝋山政道、工藤恭らが国家を前提としない政治の概念を模索したのに対して、昭和10年代に入り、潮田江次、田畑忍らが「政治は国家外現象なりや」と批判したのに端を発する論争。・・・」(425)

⇒この「論議」の内容を、私は詳らかにしませんが、政治の社会内遍在性を当然視する私としては、政治概念が先行するとの論者達の側に軍配を上げたいところです。
 丸山だって、政治の遍在性論に拠るべきだったのです。
 (そもそも、日本型政治経済体制は日本型「政治」経済体制であることを思い出してください。
 戦間期以降の日本の学者であれば、政治の遍在性を出発点とするのは、自然過ぎるくらい自然なことだと私自身は思います。)
 丸山は、政治の遍在性論に拠っておれば、「現代の政治に対して・・・実質的寄与を引き出す事が出来」た可能性があったというのに・・。(太田)

 もともと政治学の非力性は今日にはじまった事ではなかった。
 他の法律学なり経済学なりにおいては、嘗て一定の歴史的段階に適応していた概念構成乃至方法論が今日の激動期に対してそのままで通用しなくなったというところに問題があるのであるが、これに反して、政治学の場合には、少くも我国に関する限り、そもそも「政治学」と現実の政治とが相交渉しつつ発展したというようなためしがないのである。・・・
 我国の過去の政治学者で、その学説を以て最も大きな影響を時代に与えたのは、言うまでもなく吉野作造<(注3)(コラム#52、230、234、245、713、2509、2715、2900、3259、4012、4528、4998、5372、5678、8390、8450、8664、10023)>博士である。

 (注3)1878~1933年。宮城県の綿織物の原料を扱う商家に生まれ、二高の時にキリスト教徒になり、東大法卒、院進学、袁世凱の長男の家庭教師を務め、東大法助教授、欧米留学(3年間)、帰国後、政治史講座を担当、一時、朝日新聞に編集顧問兼論説委員として入社するも、東大法に復帰。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E4%BD%9C%E9%80%A0

⇒一高、東大等の講師であった夏目漱石も、吉野同様、朝日新聞に入社しています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
が、当時の同紙の権威が分かろうというものです。(太田)

 大正時代のデモクラシー運動は吉野博士の名を離れて考えることは出来ない。
 しかし吉野博士の民本主義に関する諸論文は理論的というよりむしろ多分に啓蒙的なものであ<った。>・・・
 みずからの地盤と環境とから問題を汲み取って来るかわりに、ヨーロッパの学界でのときどきの主題や方法を絶えず追いかけているのが、わが学界一般の通有する傾向であり、そこに学問の観念的遊離も胚胎するわけであるが、このわが国の学問のもついわば宿命的な弱さを集中的に表現しているのが政治学である。
 学問とその現実的対象との分裂はここでは救いがたいまでに深刻である。」(14~15)

⇒このくだりは意味不明です。
 丸山は、日本が欧州に比して後進国である、と思い込んでいたわけですから、その後の自分を含めた日本の政治学者達も、吉野作造と同じく、ヨーロッパならぬ欧米の政治学の最新動向を踏まえたところの、「啓蒙的な」諸論文を書きたかったというのに、「この十数年の反動期」の下ではそれができなかったことは残念だ、と記せばそれで足りたはずなのに、何を血迷ったのか、と言いたくなります。(太田)

(続く)