太田述正コラム#786(2005.7.10)
<欧州における歴史的瞬間(その2)>
3 フランスの対英三連敗
(1)始めに
私が米国留学からの帰途、永遠の近未来都市といった趣のあるサンフランシスコから1976年のロンドンに到着した時の印象を、以前(コラム#334で)申し上げたことがあります。昏くて活気がなく、ちょっと大げさに言えば、かつて大英帝国の首都だった大都会の廃墟にやってきた、という感じでした。
ところが、最近では、パリがそんな感じだというではありませんか。活気があって新陳代謝が盛んなロンドンと比べて「パリは今や博物館、というより墓廟だ」というパリ市民の言葉(http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/4105412.stm。6月20日アクセス)に遭遇して、うたた今昔の感を覚えました。
今、英国とフランスとでは、田舎に行ってもまるで違うらしいのです。
英国では、どんな片田舎にも車で買い物に行く大きなスーバーマーケットがあるけれど、フランスの田舎には、家族経営の肉屋・青果店・パン屋・魚屋等しかなく、牧歌的だというわけで、週末等をのんびりと過ごすための英国人・・その平均所得はフランス人よりはるかに高い・・の別荘を所々に見出すことができる、というのです。
社会民主主義と訣別し、国営企業を民営化し、後ろ向きの補助金を廃止し、勤勉の精神を取り戻した英国と、社会民主主義の毒が全身に回ってしまったフランスとの間に、いつしかこれだけの違いが生じてしまった、というわけです。
(以上、BBC上掲による。)
(2)EU憲法条約国民投票否決
こうしてフランスは自信喪失に陥り、EUが早晩英国由来の反社会民主主義的風潮で染め上げられてフランスないし仏独枢軸がEU内で英国に主導権を奪われてしまう、という恐怖感から、フランスの人々は、EUを強化する憲法条約を5月末に実施された国民投票で否決したのです。
(その後オランダの国民投票があり、やはり憲法条約が否決されるのですが、オランダの帰趨がどうであれ、)その瞬間に、まことに皮肉なことに、フランス、あるいは仏独枢軸はEUの主導権を失い、英国に主導権が移ってしまいました。フランスの自傷行為で英国に不戦勝がころがりこんできたわけです。(http://www.guardian.co.uk/eu/story/0,7369,1510390,00.html。6月21日アクセス)
(3)EU予算論議での「敗北」
そして、フランスは、その直後に再度屈辱を味わわされます。
憲法条約否決で勢い込んだ英国のブレア首相が、6月中旬に開催されたEU首脳会議の場で、(2007から13年を対象とする)次期EU予算問題に関し、フランスのシラク大統領に逆ねじを食わせたのです。
すなわち、英国はフランス等に比べて農業人口が少なく、EUの農業補助金の恩恵に浴さないことから、EUへの拠出金の一部の還付を受けてきたことに、シラクが噛みついたところ、ブレアは、EU予算の40%がEU人口の4%しか占めていない農業への補助金として使われていること自体を問題視し、この根本問題の是正なくして、英国への拠出金還付廃止には応じられない、と逆襲し、EU予算が宙に浮いてしまったのです。
しかも、7月から6ヶ月間は、英国がEUの議長国になることから、この問題でも、英国の主導権の下で英国に有利な決着が図られる可能性が出てきました(注4)。
(注4)EUが強化されれば、農業補助金がカットされることを見越してか、フランスの農民の70%はEU憲法条約に反対票を投じた。しかし、これまた皮肉なことに、EU憲法条約を葬り去ったとたんに、むしろ農業補助金カットに向けての動きが顕在化した、というわけだ。
こうして、シラクに対し、フランス国内からは、またもや英国に敗北した、と非難の合唱が起こります。
(以上、ガーデイアン上掲及びhttp://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1510194,00.html(6月21日アクセス)による。)
そして追い打ちをかけるようにブレアは、EUの新議長に就任したばかりの7月1日、EUの「社会モデルを時代に即したものにし、近代化する」必要性・・つまりは、EUの理念を社会民主主義からアングロサクソン的自由・民主主義へ転換する必要性・・を訴えたのです(http://politics.guardian.co.uk/eu/story/0,9061,1519414,00.html。7月2日アクセス)。
シラクが、シュレーダー独首相及びプーチン露大統領との4日の三者会談の席上、英国の料理をこきおろした(注5)のは、ジョークでも何でもなく、英国、及び英国を代表するブレアに対する恨み節の吐露以外の何物でもなかったのです。
(注5)シラクは、英国人のように「料理が不味い国の人々は信頼できない。英国料理はフィンランド料理に次いで、世界最悪だ。・・連中の欧州の農業に対する貢献は狂牛病だけだ」と語り、英国のスコットランド出身のロバートソン(George Robertson)NATO事務局長がスコットランド料理に誘ってくれたのが、「NATOで問題が起こったゆえんだ」とつけ加えた。シラクは、マイクが切れていると思っていたが、切れておらず、傍受したマスコミが報道するところとなった。(http://www.guardian.co.uk/france/story/0,11882,1521199,00.html。7月5日アクセス)
このシラク発言に対する英国での反応がhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/4651109.stm(7月6日アクセス)に、フィンランドでの反応がhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4652941.stm(7月6日アクセス)に、そしてシュレーダー首相の「コメント」がhttp://www.guardian.co.uk/g8/story/0,13365,1521509,00.html(7月6日アクセス)に出ている。
ちなみに、スコットランドのグレンイーグルス(Gleneagles)で開催されたG8サミット(後出)では、フランスで料理を修業したスコットランド人シェフが、スコットランド風フランス料理で各国首脳をもてなした(ガーディアン上掲)。
(続く)