太田述正コラム#10345(2019.1.30)
<2019.1.27関西オフ会次第(続x3)>(2019.4.19公開)
<Terry Teruaki>
毛沢東は本当に優秀だったのだろうか。
<太田>
確かに、彼は、碌に学歴もないし、いわゆる受験秀才たりえた人物であるかどうかは分からない。
もとよりその可能性は否定できないが・・。
ところで、当時の日本では、例えば帝国陸軍では、「出世」のキャリアパスは概ね確立していた。
陸士、陸大で優秀な成績を収めるのが必要条件だったという意味で・・。
そこから先は、限られた中での競争になり、例えば、杉山は、(恐らくは、組織人としての業績で)陸大で遥かに優秀な成績だった同期の畑を追い抜いたわけだ。
でも、できたばかりの中国共産党・・恐らくは、当時の支那における知的エリート達が大勢集まっていたことだろう・・には、こんな帝国陸軍のような「出世」キャリアパスなど存在しなかったわけで、その中で、トップにのし上がった毛沢東は、杉山とは相当違った意味でスゴイ、と思うべきだろう。
<HH>
原爆投下が日本の終戦をもたらしたという太田さんの最近の主張はその通りだと思う。
<太田>
帝国海軍の軍令部は、(若干の航空兵力を除き、)戦力がゼロになっていたというのに、ソ連参戦も原爆投下にも動じることなく、継戦を主張したわけだが、彼らのアタマの構造はどうなっていたのか、未だに私の理解を超えている。
そういうこと等、まだまだ、解明すべきことが残っている。
<HH>
陸軍はゲリラ戦だってやれたし・・。
<太田>
それに、支那には支那派遣軍が、ほぼ無傷で残っていた。
海軍の場合、恐らくは、その教育制度や人事制度がひどかったのだろうが・・。
<猫魔人>
その帝国海軍には陸軍幼年学校に相当する学校がなかったわけだが、同校は非幕府系の藩校的なものの復活なのか。
<太田>
武士の家に生まれ、父親から武士たるべき家庭教育を受け、その上で、というか、その後も、家庭教育を受け続けながら、藩校に通ったわけであり、こういった武士教育全体の復活だった、と私は受け止めている。
そのために、イギリスのパブリックスクールも参考にして、全寮制にしたのではないか。
<Terry Teruaki>
むしろ、フランスのサン・シール(陸軍士官学校)・・ドイツのギムナジウム<(だったかもしれない(太田))・・を参考にしたのではないか。
<太田>
・・・
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(で、調べてみた。
まず、サン・シールは、修士課程相当であり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A3%AB%E5%AE%98%E5%AD%A6%E6%A0%A1
恐らく昔から高等教育機関だったのだろうから、中等教育機関の陸軍幼年学校とは対象年齢が全く違う。
次に、ドイツのギムナジウムだが、全寮制ではなく、また、軍事訓練も行われておらず、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A0%E3%83%8A%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0
これも昔からそうだったのだろうから、陸軍幼年学校とは全く異なっている。)
<HH>
私は、(太田さんの言う、)横井小楠コンセンサスが存在したことこそが島津斉彬コンセンサス「成功」の鍵だったと思う。
後者の信奉者達は、前者の信奉者達を前面に押し出すことで日本国内に(戦争に向けての)広範なコンセンサスを作り出すと共に、前者の信奉者達を利用しつつ、その後ろに隠れる形で、その目的の実現を図りそれに成功した、と。
<太田>
仰る通りだろう。
<KA>
私は、(太田コラム無料時代に)太田さんのアングロサクソン論に出会って以来の読者だが、自分以外に女性の有料読者はいるのか。
<太田>
(当時はもちろんだが、現在も)いる。