太田述正コラム#10351(2019.2.2)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その11)/2019.1.27関西オフ会次第(続x5)>(2019.4.22公開)

 「政治を真正面から問題にして来た思想家は古来必ず人間論(アントロポロギー)をとりあげた。
 プラトン、アリストテレス、マキアヴェリ、ホッブス、ロック、ベンタム<(注5)>、ルソー、ヘーゲル、マルクス、ニーチェ–これらのひとびとはみな、人間あるいは人間性の問題を政治的な考察の前提においた。

 (注5)Benthamについては、「日本では「ベンサム」と表記発音され英語圏でも[ˡbenθəm]と発音されるのが一般的だが、語源から言えば古英語のbeonet(コヌカグサ)とham(村落)に由来するため、tとhをつなげて読まずに[ˡbentəm]と発音する方が本来は正しいとされている。日本でも特に法律学者は伝統的にベンタムと表記することが多いようである。これには強力な異論もある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%A0
と、ベンサムの邦語ウィキペディアにはあるが、このくだりに付されている唯一の英語典拠
https://www.houseofnames.com/bentham-family-crest
を見ても、「ベンタム」とも読める的な記述はすぐには見当たらない。
 また、ベンサムの英語ウィキペディアにも、一切、それ的な記述はない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Bentham

⇒後出の「注6」から窺えるところの、言葉に不必要なまでにうるさい丸山が、無造作にBenthamをベンタムと書いていることに、私は、著しい違和感を覚えます。
 無批判に、東大法学部教授ムラの方言を使ったらしい、という意味で・・。
 なお、私は、ベンサムとニーチェに関しては、「政治を真正面から問題にして来た思想家」であるとは思っていません
 (上掲、及び、下掲)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7 
が、ここでは立ち入りません。(太田) 

 そしてこれには深い理由がある。・・・
 現実に人間を動かし、それによって既存の人間関係あるいは社会関係を、望まれていた方向に変えることが政治運動のキーポイントである。
 現実に動かすという至上目的を達成するために、政治はいきおい人間性の全部面にタッチすることになるのである。・・・
 たとえば学問の人間に対する影響力はもっぱら人間の理性的部分を対象とする。・・・
 恋愛の働きかけはもっぱら–というと言いすぎだが少くとも大部分–人間の情動(エモーション)<(注6)>に訴えようとする。

 (注6)丸山は、例えば、「人間論(アントロポロギー)」ではドイツ語を、「情動(エモーション)」では英語を、カタカナでだが、厳密性を期すためか、(親切心から?)付けてくれているが、付ける外国語をどの国の言葉にするかの彼なりの基準を明らかにして欲しかったところだ。

 また商品取引というような経済行為の働きかけは主として人間の物質的欲望に訴える。
 これらに対し政治の働きかけは、理性であろうと、情緒であろうと、欲望であろうと、人間性のいかなる領域をも必要に応じて動員する。
 要するに現実に動かすのが目的なのだから、政治には働きかけの固有の通路がない。
 宗教も、学問も、経済も、それが政治対象を動かすのに都合がよければいつでも自己の目的のために使用する。
 だから逆にいうと、宗教なり学問なり恋愛なりの働きかけで、手段と目的との一義的連関を失って、要するに相手を自分に従わせること自体が至上目的となったときには、それはすでに自己を政治的な働きかけにまで変貌させているのである。」(43~45)

⇒人間のあらゆる言動には政治的要素がある、とまで、丸山には言い切って欲しかったところです。
 そこまでくれば、私の言う、政治の遍在性を、丸山も直視せざるを得なくなったはずなのですが・・。(太田)

(続く)
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–2019.1.27関西オフ会次第(続x5)–

<太田>

 かつて、私は、ホッブスを、イギリスが生んだ世界最初の近代的社会科学者めいた持ち上げ方をしたことがあったのではないかと思うが、この際、取り消しておきたい。
 彼は、「人間の自然状態は闘争状態にあると規定」した上で、社会契約論を説いた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%96%E3%82%BA
わけだが、「」内は典拠抜きの公理設定に外ならず、彼を欧州文明的な合理論哲学者、に分類せざるをえない、と考えるに至っているからだ。
 人間の自然状態をどのようなものと公理設定するかに違いこそあれ、同じくイギリス人たるロック、そしてフランス人たるルソーに至るところの、いずれも合理論的な社会契約論諸説の、ホッブスは元祖である、ということだ。
 (ホッブスは、オックスフォード大学で論理学やスコラ哲学を学び、その後、欧州に渡ってユークリッド幾何学のような演繹的方法論を習得しているし、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%83%B3_(%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%96%E3%82%BA)
主著『リヴァイアサン』(1651年)の有名な挿絵
https://en.wikipedia.org/wiki/Leviathan_(Hobbes_book)#/media/File:Leviathan_by_Thomas_Hobbes.jpg
を描いたのもパリ在住のフランス人だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Leviathan_(Hobbes_book) )