太田述正コラム#10375(2019.2.14)
<杉山元と厚生労働省(その2)>(2019.5.4公開)

 それに加え、寺内は廣田弘毅内閣(1936年3月9日~37年2月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E7%94%B0%E5%86%85%E9%96%A3
の陸相であって、廣田自身が杉山にとって、近衛よりは有能なロボット、と言ったら失礼だとすれば、杉山と同志の島津斉彬コンセンサス信奉者であったわけですから、一般に、閣僚が閣議の際に公式発言をする場合は首相に事前に了解を取り付けなければならないところ、むしろ、本件について寺内に公式発言を促したのは(杉山の意を汲んだ)廣田であった可能性さえある、と私は見ています。
 さて、仕掛け人が杉山であったことを、より端的に「証明」しているのが、「1937年5月14日、陸軍省医務局は、国民体力向上の為の強力な衛生行政の主務官庁構想として、「衛生省 (もしくは社会省)案」を政府に提出した・・・が、内務省などの反対で採用されなかった 。・・・ <今度は、>昭和12年6月<4日の>第一次近衛内閣の成立に際して・・・陸軍は国民の体力を向上させる新しい省の創設を内閣支持の条件として陸軍大臣を推薦してきた・・・ 」(前出)ことです。
 杉山は、1937年2月9日に、廣田弘毅内閣(1936年3月9日~37年2月2日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E7%94%B0%E5%86%85%E9%96%A3
の後の林銑十郎内閣(1937年2月2日~6月4日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%86%85%E9%96%A3
が成立すると、事実上、寺内の後任として、2月9日に陸相に就任しています。
 ですから、「衛生省(もしくは社会省)案」を政府に提出させたのは、杉山陸相ですし、「昭和12年6月<4日の>第一次近衛内閣の成立に際して・・・陸軍は国民の体力を向上させる新しい省の創設を内閣支持の条件として陸軍大臣を推薦してきた」(!)ところ、ここで、(自分の単なるロボットの)近衛を首相に据えたことから始まり、「陸軍」も、はたまた、「推薦してきた・・・陸軍大臣」候補も、ことごとく、杉山その人なのですからね。
 (結局、杉山は、第一次近衛内閣で、陸相を1938年6月3日まで務めます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E5%A4%A7%E8%87%A3 )
 これほどまでも、厚生省設立にこだわったのは、「欧米諸国で・・・16世紀以来の救貧制度を脱して、20世紀の初頭ごろから、国民の権利としての所得保障や社会サービスが給付されるようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A5%89%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96
ことを、国際連盟・日本帝国代表陸軍随員であった時(1920~22年)
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ziketu-sugiyama.htm
に、ジュネーヴで、杉山(当時中佐)
http://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/201103/02.pdf
が、強い印象を抱いたからではないでしょうか。
 (ちなみに、杉山が、他の2名の同僚随員達と作成した報告書(1921.1.15)は、経済問題が将来戦の遂行要領に大きな影響を及ぼすとしているところです。(上掲)
 当時、杉山が、経済問題に関心を持ち、勉強を開始した可能性が大です。)
 ところで、「創設当時の・・・厚生省の機構は、<陸軍省の推した>「体力局」も<近衛首相が推した>「労働局」も設置されて、陸軍省 と近衛首相のそれぞれの考えを反映していた」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jssw/36/2/36_KJ00006852471/_pdf 前掲
とされていますが、陸軍、すなわち杉山、が重大視して見せた「壮丁体位の低下」(前出)が嘘であることなど、杉山は百も承知であったはずであり、最初から、彼の目的は、社会福祉を所管する労働局を中心とする新官庁の設立にあった、と私は見ています。
 しかし、そんな新官庁設立を陸軍が言い出すことへの他諸官庁、ひいては世論に与える違和感を回避するために、近衛に「労働局」を持ち出させる形を取って、目的を達した、ということでしょう。
 (杉山は、内務省に既にあった社会局を増強するだけでは、福祉担当部局の発言力、具体的には予算獲得力、が不十分なままで推移するだろう、と考えたのではないでしょうか。)
 こうして、杉山のおかげで、日本は、福祉国家化への本格的な第一歩を踏み出すことができたわけです。
 その結果として生まれたところの、日本的福祉国家の特徴は、「福祉政策の対象範囲を困窮層に限定するか中間層まで広げるか、また、福祉政策を雇用政策に連関させるか否か」という座標軸で見ると、前者関しては広げない、後者に関しては連関させる、という、欧米諸国においては例を見ない独特なものになっています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A5%89%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96 前掲
が、これは、恐らくは、自身の日本の伝統的仁政イメージに基づいて、杉山が描いた通りの、(日本型政治経済体制下の)日本型福祉国家の姿なのでしょう。

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[杉山元の職歴]

 杉山元の職歴について、彼のウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%B1%B1%E5%85%83
は極めて不十分であり、下掲がより詳しいが、
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ziketu-sugiyama.htm
飛行大隊を航空大隊と誤記したり軍事課長についての記述が欠如している等の問題があり、下掲等で補わざるを得ない。
https://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/sugiyamahajime.php
 誰かが、ウィキペディアの拡充をしてくれることを強く期待している。
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(完)