太田述正コラム#10383(2019.2.18)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その19)>(2019.5.8公開)
「政府の主要な職能が治安の維持と対外防衛であった時代が去って、産業、教育、衛生、土木、厚生等、殆ど凡ゆる社会的事業に拡張されて来たということは、典型的な自由主義国家といわれるアメリカ合衆国のようなところでも厳たる事実となっています。・・・
⇒「産業、教育、・・・」より先に「訴訟」が来なければなりません。
例えば、日本の場合も、武家政権の樹立の最大の眼目は、平安期には訴訟(問注)を行う機関がなかったところ、武士達にとって死活問題になっていた、土地争訟等の訴訟を扱う機関である問注所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%8F%E6%B3%A8%E6%89%80
を設けたところにあります。(太田)
われわれは、歴史に於て、[古代中国の]<夏の>桀とか<殷の>紂とか雄略天皇<(注20)>とかネロとか沢山の暴君の話を聞いております。
(注20)「『宋書』・『梁書』における「倭の五王」中の武にも比定され、以上のことから5世紀末頃に在位していた天皇と推測されている。・・・
それまでの倭国は各地の有力豪族による連合体であったが、雄略の登場により大王による専制支配が確立され、大王を中心とする中央集権体制が始まったとする見方もある・・・反面、気性の激しい暴君的な所業も多く見られた。大王位に即くために肉親すら容赦なく殺害し、反抗的な豪族を徹底的に誅伐するなど、自らの権勢のためには苛烈な行いも躊躇せず、独善的で誤って人を処刑することも多かったため、大悪天皇(はなはだあしきすめらみこと)とも誹謗された。・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87
⇒長年続いた夏と殷の2王朝にそれぞれ滅亡をもたらした桀や紂(典拠省略)、と、善政も施したけれど、初代ローマ教皇ペトロの殺害を含むキリスト教徒迫害、そして自身の非業の最後でもって悪し様に言われ続ける羽目になった、ローマ皇帝のネロ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%AD
、や、「注20」からも分かるように、仁政の事績こそないけれど、どうやら(九州から関東までの)日本統一を成し遂げたっぽい雄略、を同列に並べるのはおかしいのではないでしょうか。(太田)
ところがこういう昔の暴君の振い得た権力と、ヒットラーやムッソリーニや東条[英機]が振った権力と一体どちらが大きいでしょうか。
⇒「1946年、丸山眞男は「超国家主義の論理と心理」で、「ファシズム」を「反革命のもっとも先鋭的な、もっとも戦闘的な形態」と定義して 、イタリアやドイツのファシズムは議会制社会下の大衆運動による「下からのファシズム」であったが、日本のファシズムは軍部や官僚による「上からのファシズム」であった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%88%B6%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
という愚説を打ち出していたこともあり、東條をヒットラーやムッソリーニと同列に置いた記述をしたのでしょうが、自分で首相になろうと手を挙げたわけではなく、また、後に、簡単に天皇や重臣達に馘首されたところの、閣僚の任免権すら持っていなかった人物に、よくもまあ恥ずかしげもなく、この文脈で言及できたものです。(太田)
古代の専制君主は、如何にも巨大な権力を振ったように見えますが、実はそうした権力が及ぶ範囲というものは今日から考えるとお話にならないほど貧弱なのです。・・・
<それに対し、現在では、>政治が・・・私たちの生命を自由に左右する力をもつからこそ、これに真正面から立ちむかい、政治の力を野放しにせずにこれを私たちのコントロールの下に置くにはどうしたらいいかということを、文字通り私たちの死活の問題として考えざるをえないのです。」(72、74~75)
(続く)