太田述正コラム#10385(2019.2.19)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その20)>(2019.5.9公開)

 「政治的状況(Political situation)の一番基本的特色は、それが一瞬間も静止せずに不断に動き、他の状況に移行して行くということです。
 随って、政治に関する理論というのはフレーベル<(注21)>がすでに早く認めていたように(J. Fröbel Theorie der Politik 1864<(注22)>)、何等かの状態(Zustand)の理論ではなく、本質的に運動(Bewegung)の理論です。

 (注21)「カール・フェルディナンド・ユリウス・フレーベル(Carl Ferdinand Julius Fröbel。1805~93年)は、「ドイツの地質学者で政治家。」ミュンヘン大、イエーナ第、ベルリン大で鉱物学を学び、スイスのチューリッヒ大教授。その後、「フランクフルト国民議会の代議員<になり、>・・・1848年のウィーン十月蜂起・・・にも関わった。・・・<米国>亡命から戻ってきたのち、新聞編集者で外交官を務めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB
 (注22)Theorie der Politik als Ergebnis einer erneuten Prüfung demokratischer Lehrmeinungen. 1. Bd.: Die Forderungen der Gerechtigkeit und Gleichheit im Staate. Wien 1861. 2. Bd.: Die Tatsachen der Natur, der Geschichte und der gegenwärtigen Weltlage als Bedingung und Beweggründe der Politik. Wien 1864.(上掲)

⇒社会科学の対象たる人間世界って、全てそうだと思うのですが・・。(太田)

 政治家は不断に新しく生起する現実に対して、自主的に決断を下して行かねばならない。
 政治的叡智とはこうした、不断に変転する状況に即して、適切な判断と処置を下す能力に他なりません。
 しかしながら、政治的状況が如何に変転するものであっても、それが全く無法則に動くものであったならば、そもそも、学問的智識の対象とはなり得ないし、どんなに洞察力に富んだ政治家も手をあげてしまうでしょう。・・・
 近代的意味での政治学の建設者といわれるニッコロ・マキァヴェルリが、「力は安静を生み安静は倦怠を生み、倦怠は無秩序を生み無秩序は混乱を生み、そうして混乱からは秩序が発生し秩序からは力が発生し、力からは名誉と幸運が生まれる」(『フィレンツェ史』<(注23)>)といっていることにも素朴な形ではありますが、政治的状況の移行を一つの循環法則としてとらえて行こうという努力が現われています。

 (注23)「「フィレンツェ史」・・・を読んで思ったのは、<それが>・・・一言でいえば、壮大な内ゲバの歴史だということだ。
 はじめは、教皇派(グエルファと呼ばれる)と皇帝派(ギベリーナと呼ばれる)の抗争があり、教皇派が勝ち、皇帝派が、一掃されると、今度は、貴族間の抗争があり、それが終わると、貴族と平民の間で抗争があった。・・・
 <その>フィレンツェでは、職業組合というのがあって、それぞれが発言権やら議席やらをもっていた。
 また、12~14世紀ぐらいは、各地区ごとに市民兵部隊が組織されていたようだ。
 だが、本書では、15世紀ぐらいから市民兵部隊の記述がなくなり、傭兵の記述が多くなる。」
http://kanaisocho.blog77.fc2.com/blog-entry-764.html

⇒アングロサクソン文明におけるイギリスの議会、プロト欧州文明内で言えば、フランス等の国王、ドイツの皇帝、そして、イタリア内で言えば、法王領の法王、ヴェネツィアの世襲制大評議会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
のような、主権を担う定点的なものを持たなかったフィレンツェの歴史を、マキアヴェッリが強引に理論化した、といった趣がありますね。
 このマキアヴェッリの理論とフレーベルの理論とは、(どちらも、大した「理論」ではありませんが、)丸山のように、同じ次元で捉えるべきではありますまい。(太田)

(続く)