太田述正コラム#10401(2019.2.27)
<丸山眞男『政治の世界 他十篇』を読む(その26)>(2019.5.17公開)
「集団間の併列権力関係を一般的に外交(diplomacy)と呼び、集団内の従属権力関係を一般的に統治(government)と呼ぶならば、外交関係が統治問題に進展するほど権力の統合(integration)が進展するわけです。
⇒governmentのgovernの意味
https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/govern
からして、「統治(government)」という言葉を用いていることまでは咎めませんが、それを「集団内従属権力関係」と捉える丸山には違和感を覚えます。
というのは、それでは、日本の人間主義的統治が抜け落ちてしまうからです。
そのココロですが、人間主義的統治においては、その「統治」は「上」「下」双方向の「統治」だからです。
また、丸山が、ここまで、もっぱら、権力の話ばかりしていて、名誉の話を殆どしていないことも気になります。
それでは、早い段階で、国家統治において、名誉だけを担う存在と化したところの、天皇を軸に展開してきた日本史を「政治学」の観点から分析し記述することなどできない相談だからです。(太田)
ここでも外交とか統治とかいう国家現象に限られるような言葉を使いましたが、例えば大政党による小政党の圧伏や併合、トラスト・カルテルによるアウトサイダー企業体の圧倒などにも共通する問題であることに注意して下さい。
ですから以下にのべる統治関係の分析はもとより大部分、典型的な国家的統治を頭に置いて論ずるわけですが、論理的には、国際組織にも政党・労働組合・教会等の内部統制にも、ある程度あてはまるのです。・・・
⇒直前に政党間、企業間の話をしながら、政治の遍在性の話をするにあたって、丸山が企業を列記から省いたことは、理解に苦しみます。(太田)
如何なる統治関係も被治者を社会的価値への参与から全面的にシャットアウトすることは出来ません。
そこで権力、財貨、名誉等を統治の根幹を揺るがさない限りにおいて、広く被治者に配分するということが行われます。
この場合被治者がどの程度そうした価値に参与出来るかということは治者、被治者の力関係に依って決定されます。
がともかくこの段階を経てはじめて統治権力の安定ないし均衡(stability or equilibrium)がもたらされます。
そうしてその均衡が破壊される時、新たな紛争が起ります。
この紛争の結果再び支配従属関係が更新され、ここで統治関係のサイクルは完結するわけです。
この紛争の結果再び支配従属関係に於て、治者と被治者の関係が顚倒するならば、そこには革命<(注32)>が成立したということが出来ます。
(注32)「1543年に・・・コペルニクスは地動説の論文「天球の回転について」を出版した。その題名で使用された「回転」(Revolution)は天文用語であった後に政治体制の突然の変革に使用された。この用語の政治的な最初の使用は、1688年のイギリスでのジェームズ2世からウィリアム3世への体制変革で、名誉革命と呼ばれた。このため欧米の革命という言葉は、近世から近代への移行期以後の政治的な変革に使われる。前近代の政変は、どれほど大きな体制の変革があっても通常は革命とは呼ばれない。・・・
1789年のフランス革命などの市民革命<にこの用語が更に転用された(太田)。その結果、>近代以後の政治理論においては革命の概念は、古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革を意味<するようになった>。・・・
<なお、> 漢語の「革命」の語源は、天命が改まるという意味である(「命(天命)を革(あらた)める」)。<支那では>・・・王朝交代一般を指す言葉であった。・・・<支那>においては革命と王朝交代はほぼ同一の概念であったが、西洋においては革命が起きなくても王朝が交代することもあり、革命と王朝交代は同一の概念ではない。そのため、西洋では「反革命」と表現されるものも<支那>では「革命」とされることもある。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E5%91%BD
⇒私見では無意味としか形容できないような原語明記を続けてきている丸山が、にもかかわらず、ここで、革命について原語明記を避けたのは一体どういうことなのでしょうか。
これでは、revolutionの訳語としての革命ではなく、支那の伝統的な意味での革命を意味していることになってしまい、市民革命を指していると思われる、「治者と被治者の関係が顚倒」する革命、という記述が唐突に登場した、という印象が拭えません。(太田)
革命権力はこうして新たなる正統性を求める段階へと進んで行きます。
また紛争が新たなる支配従属関係の設定に終らず、被支配者がその政治集団を離脱して別個の政治集団を作ることに依って紛争が解決される場合もあります。
例えば植民地の母国よりの独立とか、或いは政党が分裂して別個の政党を組織するというような現象がそれです。
こうなると・・・統治関係ではなくしてふたたび・・・広義の外交関係つまり権力並列関係へと転化するわけです。」(92~95)
(続く)