太田述正コラム#10403(2019.2.28)
<ディビット・バーガミニ『天皇の陰謀』を読む(その1)>(2019.5.18公開)

1 始めに

 訳あって、皇道派・統制派について、ネット上に論文がアップされていないかを探したところ、皆無だったので甚だ意気消沈したのですが、バーガミニなる人物が、北進派=皇道派、南進派=統制派、と指摘したという記述に遭遇し、 
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_01_df_64.htm
私の、かつて唱えたところの、皇道派=対ソ早期開戦派、統制派=対ソ抑止派、説に似ているなと思い、もう少し調べてみました。
 すると、このデビッド・バーガミニ(David Bergamini 1928~1983)が、「1971年の著書『天皇の陰謀』」の著者で、「天皇の戦争責任を暴いた」とされている人物である
https://ameblo.jp/souldenight/entry-11972550153.html
ことが分かりました。
 仮に、下掲の紹介が正しければですが、彼、それほど胡散臭い人物ではなさそうです。↓

 「1928 – ? 米国のジャーナリスト。東京生まれ。ダートマス大、オックスフォード大で学位を取得。後記者として「タイム」誌、「ライフ」誌で活躍。1973年「天皇の陰謀」で天皇裕仁の戦争責任を新たな歴史資料から論証した。<19>66年<の>L.モズレーの「天皇ヒロヒト」は類似したテーマであるが、同書とは逆に、天皇を積極的に評価している。」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%89%20%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%9F%E3%83%8B-1627976

 この本の原本が出版された頃に、私が、この本に気付かなかったのは当然として、邦訳・・7分冊(注1)で出たんですね・・が出た時に気付かなかったのは、在英中だったからでしょうね。

 (注1)天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 デイヴィッド・バーガミニ著 ; いいだもも訳 NRK出版部 新装版 1988.9
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 1 南京大虐殺と原子爆弾
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 2 ポツダム宣言と天皇人間宣言
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 3 満州事変ー泥沼のはじまりNRK出版部 1988.9 天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 4 二・二六事件と天皇の裏切り
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 5 東条英機と真珠湾への道
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 6 世界最終戦の勝利と敗北
天皇の陰謀 : 隠された昭和史 : 決定版 7 帝国の没落と東京軍事裁判NRK出版部 1988.9 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN03122542

 タイトルからして、結論が間違っている本であることは明白ですが、この本を読むことで、何か、取り組むべき新たな史実を見出せるかもしれない、とも思い、とにかく読んでみることにしました。
 しかし、原本の古本を米国から取り寄せるのでは時間がかかりますし、邦訳の7冊は古本でも結構値が張るので、独自訳と称する下掲(無償!)↓
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_contents.htm
を読むことにしました。
 平素、そんなことは絶対やらないのですが、これは、戦前・戦中とはいえ、日本の歴史の本なので、翻訳者がトンデモ誤訳はそんなにやらかさないだろう、と見た次第です。
 (後でこの予想は裏切られますが・・。)
 なお、「注1」の邦訳と原本とでは、章の名称が異なっているようですが、これにも目をつぶることにしました。

2 『天皇の陰謀』

 第一部 戦争と報復
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_10_0.htm

  第一章 南京強奪

 「・・・松井の軍団は、上海港から揚子江沿いに270キロを進撃して南京を攻落、この首都を、6週間にわたってその規模を増す、身の毛もよだつ恐怖へと落し入れた。10万から20万人の中国人が処刑され、少なくとも、5,000人の婦人、少女、子供が、殺される前に強姦された。・・・

⇒犠牲者の数は相当過大ですが・・。(太田)

 1935年初めに、日本の天皇裕仁は、自身の参謀にこの戦争を計画するように命じていた。1936年3月、この戦争が勃発する一年以上も前、裕仁は、出来上がった計画を再検討していた。その計画は極めて詳細なもので、マルコ・ポーロ橋を舞台とする挑発行動の記述もそれに含まれていた。・・・

⇒巻末脚注
https://retirementaustralia.net/old/rk_tr_emperor_02_notes.htm ※
には、天皇が統帥部の長であった的な一般論しか出てきません。
 天皇が机上諸作戦計画までいちいち承認していたのかどうかについては判断を留保しますが、いずれにせよ、対支戦の作戦計画は、参謀本部において、対ソ戦等と並んで、相当以前の段階から、作成、修正されてきていたはずです。(太田)

 <第二次上海事変の際、>日本空軍機による爆撃は、爆発物を中国人スラムに雨のように投下し、悲惨な大殺戮をもたらしていた。・・・

⇒そんな事実はないはず
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89
ですし、そもそも、典拠が付されていません。(太田)

 松井とともに、石原は東亜連盟<(コラム#9902)>を創設した。この組織は、日本がアジアの他国と平等な構成者となる、統一したアジアを形成するための戦争を信奉していた。この組織は他方、日本の絶対的支配と他民族との「永遠戦争」によるアジアの搾取を信奉する興亜同盟<(後出)>とは、明瞭な対比をなしていた。この興亜同盟の創設者は、満州での日本軍の中心的参謀で、第二次大戦中に悪名をはせた首相、東条であった。・・・

(続く)