太田述正コラム#811(2005.8.2)
<男女平等を考える(その3)>
(上田さんから、私のコメントを踏まえたコラムの補足説明が送られてきたので、コラムとして転載します。私が勝手に三つに分割したところの、上田さんのもともとのコラムの「その3」は、明日上梓し、私の再コメントをつける予定です。なお、本篇の上梓は7月28日です。私が近々夏休みをとることから、コラム上梓の頻度を上げています。)
太田述正様、上田令子です。
貴サイトへの拙文の投稿、誠にありがとうございます。
太田様のコメントを拝読しました。
言葉が足りず真意が伝わらなかったようなので弁解ではなく説明をさせてもらいたいと思います。
三部作になっているので最後まで読んでいただかないと確かに「女性に関する一般論で規定してしまう」ように思われてしまいますが、後段で「女も男も「男」的な生き方も「女」的な生き方も性別にとらわれずにどちらも自由に選べるという前提」と示唆しています。
太田様のコメントだけで片づけられたら私は男社会におもねる新右翼の保守女で片づけられてしまいますので(笑)。
#実際にそのようで某女性団体から選挙の時助成金を断られました(爆)。
まず私自身が女性のキチガイです。あまねく人を救済するための奉仕は好きですが日常の世話・家事って大嫌いです。ミシンもかけられないし針仕事、掃除、すべて不向きで現在も一切やりません。
子どもと一緒に遊んだり、好奇心を促す有形無形の仕掛けを作ったり話をするのは大好きですがシッター的な世話はキライです。
不得手なことはすべて外注しました。
いわゆる「母性」はとても少ないメスでありましょう。
「平均的な女の子らしさ」をおしつけられてについて辟易としそしてこんな自分はダメ女だと過去悩んだクチでもあります。
自分自身がキチガイ女としてフツーの凡庸な女子社員として企業や社会でされてきた仕打ちを経験しキチガイ女だってフツーの女だってアファーマティブ・アクションで救えるのかねぇ?と懐疑的なのです。
> 実際中央官庁では、(キャリアたる女性を除き、)女性職員一般に対する昇任・異動面での明確な差別があります。地方自治体でも、事情は同じであろうと思います。
> 様々な訴訟を通じて明らかなように、大企業の中での差別はもっとひどいのが実態です。
ワーキングマザーの仲間で同期の男性との出世競争で大きな後れを取って悔しい思いをしている人も少なからず見てきました。
でもそういう人を見ていると私はいつも思います。
「…腐った会社に変わってもらおうとするのではなく会社を変わったら?」
不実な恋人に胸を痛める友人の相談にのるといつも言ってきたこと。
「男変えれば?」と同じです。
腐った組織で数値目標枠を待つより、自分の意志を堅持して違う組織へ!
所変われば人も変わる。新しい組織に行ってみたら犠牲を払わなくとも同じ事があっさりできたりするものですから。
労働市場も流動的になれば、企業と社員も対等な関係になれると考えています。
男尊女卑な彼氏とおさらばして優しく良識ある彼氏を選べば荷物も持ってくれて子育ても手伝ってくれて言うことナシです!
こういう男の子がモテれば市場の男子はその土俵で競い合わなくてはならなくなるってわけです。
腐った会社で無為な時間を屈辱に耐えて過ごすよりイヤなら逃げ出せて、逃げ出せる先がある、流動的な環境を整えることが最優先だと上田は思っているのです。
はてさてそうなるには…
> 上田さんの体験論的ご指摘には重みがありますが、私は自分のHPの「主張」の中でも、働く女性に対するアファーマティブ・アクションの必要性を訴えており、日本の大組織は、女性登用の数値目標を設定すべきだ、と考えています。
良識ある人間、国や会社の繁栄を心から求めるリーダーであれば数値もなにもあげるまでもなくましてや染色体がXXかXYかなどでは決めずに有能かどうかで人材登用は判断するものです。
そうしなければ国家運営、会社経営の存亡に関わります。
大組織は数値目標や制度改革より真っ先にやることはリーダーを変える、これしかないと思います。
日本人でにわかにこれ!というリーダーでイメージできる方がいないのが残念ですが徹底的に組織の利益追求を図れる人間であればともかく合格といったところでしょうか。
> というのは、私は男性と女性の本来的差異は当然認めつつも(今具体的なデータの持ち合わせがありませんが、)日本の女性の社会進出面での遅れが、「先進」諸国の中で余りに甚だしいことからも、日本に牢固とした女性差別構造が存在していることは間違いないからです。
リーダーがしっかりしていればありえない話ですが烏合の衆が運営していればさもありなんですね。
そういう連中がぞろいるところに「なんとか女の子雇ってよ、人数増やしてネ」とお願いしたってカエルの面になんとやら、制度で縛ったってあの手この手で抜け道を造って(そういうことにはいかんなく才能を発揮しますから)、女性や良識ある男性といった、能力あるライバルの進む道を遮ってこそ広げるわけはないと考えます。
リーダーはもちろん意志決定機関のIQは高くとも頭の固い人材を一新一掃しなければ数値目標を立ててもお題目で終わると上田は考えております。
「東大でだめなら一橋かなぁー」程度では全然ダメということです。
このところ騒ぎになっている道路公団の副総裁逮捕劇を見れば明かです、件の副総裁が女性登用の数値目標を設定すべきだとして働く女性に対するアファーマティブ・アクションを運用する状況をご想像下さい。
> 女性の「そこまでの犠牲を払いたくない意志」は、このような差別構造の下で培われた部分が相当あるのではないでしょうか。
結婚をしない人や子どもを産まない女性と選挙に行かない市民の心境は似ていると私は思っています。
自分の人生を賭け尊敬に値するリーダシップを取れる企業、政治家、パートナーとは思えないから動く前に諦めてしまっている。
名もない市民、社員が唯一持っている「拒否権」を行使しているのですね。
哀れなことです。しかし、拒否権を行使しているだけマシです!
大手企業とか中央官庁から不遇な目に遭う有能な女性、良識ある男性はくだらん価値観に蹂躙されている組織から飛び出して自分を正当に評価していくれる在野の組織、市場にさっさと移れば良い。
市場は実際は慢性的に人材不足ですからいくらでも吸収できるものです。
腐った組織をどうにかする施策や制度も大切ですが有能な女性、もちろん男性が自分を正当に評価してくれる次の市場に気軽に飛び出せる流動的な環境を整えることの方が先決です。
そうすれば良識あるリーダーが率いる組織が選ばれ自ずと腐った組織は淘汰されていくはずです。
制度から変わるのを待つより、名もない市民の意志、市場が社会を変えていく方がてっとり早いく且つ確実です。
だから、「犠牲を払いたくない意志」を死守して欲しいのです。
風が吹くのを待つのではなく、自ら風を起こす。
制度が社会を変革してくれるのは期待どまりにしておいて、まずひとりひとりの市民、ことに女性の自立した強い意志から変革が始まると思っています。
この点をコラムで訴えたつもりでした。
(続く)