太田述正コラム#812(2005.8.3)
<法の優位(その1)(アングロサクソン論11)>
(本篇は、コラム46、54、74、81、84、88、89、90、91、92の続きであり、7月28日に上梓しました。8月4日から12日まで夏休みをとるので、それまでのコラム上梓頻度を増やしています。)
1 始めに
法の優位(supremacy of the law)の観念もイギリスで確立しました。
この場合の法(law)は、statute(法令=書かれた法)を意味し、慣習法であるコモンローは含まれません。
その意味と由来と淵源をご説明しましょう。
2 法の優位の意味
法の優位とは、要するに、ある法令が対象とする国または地域においては、いかなる人も、その法令が正当な手続きで改廃されるまでは、その法令に拘束される、ということです。
法の優位の観念は、17世紀の英国(正確にはイギリスとスコットランド)において、世界史上初めて確立したのですが、それは、それまでは国王による統治手段であった(=法治主義)法令が、国王をも拘束する存在になった(=法の支配)、ということを意味しました(注1)。
(注1)以前(コラム#90で)、6?10世紀のアングロサクソン期において、「イギリス王は、法の源ではなかった。・・法は種族の慣習、または部族に根ざす権利からなり、王は、部族の他のすべての構成員同様、法に全面的に従属していた。」とか、15世紀末において、「フランスは絶対君主制であり、すべての法が君主に発し、人々はそれに服するが、イギリス<で>は、人々の自発的黙従に基づく制限君主制であり、王自身、彼の臣民と同じ法に拘束される」と申し上げたところだが、これはイギリス国王もイギリス臣民同様、(自由と人権に係る)慣習法たるコモンローに拘束される存在である、という趣旨であって、国王も臣民同様、書かれた法たる法令に拘束される存在である、という趣旨ではない。
3 法の優位の由来
法令はややこしくて四角四面なものと相場は決まっていて、古今東西、法令やその法令を弄んでカネをせしめる法律家が好きな人などほとんどいません。
シェークスピアは、史劇「ヘンリー6世・第2部」の中の登場人物(王位をうかがう人物の子分である悪漢)に、「まず法律家には全員死でもらおうじゃないか(The first thing we do, let’s kill all the lawyers)」と言わせています(http://www.spectacle.org/797/finkel.html。7月28日アクセス。
しかし、イギリス人の面白いところは、その一方で彼らがかねてより、確固たる法令遵守精神の持ち主であるところです。
イギリス人は、一旦書かれた法令が成立してしまうと、それは法令を起草した人々よりも大きな道徳的権威を持つようになる、と信じてきました。
というのは、法令は書かれることによって、単に発せられた言葉とは違って、記憶が薄れて失われるようなことがなく、かつ、第三者がその法令を読んで証拠として援用できるので、否応なく責任ある対応をせざるをえなくなるからです。
そしてイギリス人は、かねてよりこのような法令について、安易に改正したり、立法者意志をねじまげて解釈したりすること、あるいは重要な社会関係を法令化せずに放置しておくこと、は非道徳的なことだと信じてきたのです。
このイギリス人の法令観を、1644?47年のロンドン滞在中に出版された著書’LEX REX’(注2)に書き記し、理の当然として、国王もまた法令を遵守しなければならず、遵守しない国王に対しては叛乱を行うことが許される、と清教徒革命を追認する法理を説いたのがスコットランド出身のサミュエル・ラザフォード(Samuel Rutherford。1600?61年)です(注3)。
(注2)ラテン語で、「法が王なり」という意味。この本は、同時に、当時のフランスで唱えられ、イギリス内においても信奉者のいた王権神授説(絶対王制)に対する批判の書でもあった。そして、政治哲学者のロック(John Locke)米国独立宣言や米国憲法の起草者であるジェファーソン(Jefferson)、フランクリン(Franklin)、マディソン(Madison)、ハミルトン(Hamilton)らに決定的な影響を与えた。
(注3)ラザフォードのもう一つの貢献は、国家と宗教の分離・信教の自由の考え方の確立だ。
清教徒革命の後、英国で1660年に王制復古がなり、英国王となったチャールス2世が最初にやったことの一つは、この本を「王制を罵倒し、叛乱を扇動している」として焚書の対象とし、ラザフォードを大逆罪を犯したとしてセント・アンドリュース大学(王位継承権者のウィリアム王子が今年卒業した大学)の学長職(rector)から解任し、自宅軟禁状態に置いたことです。
ラザフォードは処刑されることを覚悟しましたが、重病になり、まもなく死亡したため、かろうじて刑を免れるのです。
しかし、ラザフォードのこの本は、1688年の名誉革命後、禁書リストからはずされ、英国で法の優位が確立することになります。
以上見てきたようなイギリス人の法令観の淵源は、ギリシャ哲学のロゴス(Logos)概念に遡ります。
(以上、特に断っていない限り、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200507/200507210009.html(7月22日アクセス)、及びhttp://www.acton.org/publicat/randl/liberal.php?id=419、http://www.puritansermons.com/ruth/ruth6.htm、http://www.christianfocus.com/bookfile/biography/samuel_rutherford.htm、http://www.fpchurch.org.uk/EbBI/fpm/2003/March/article3.htm(いずれも7月27日アクセス)による。)
(続く)