太田述正コラム#8152005.8.6

<生殖・セックス・オルガスム(その5)>

 (本篇はコラム#807の続きであり、7月30日に上梓しました。8月4日から8月12日まで夏休みをとるので上梓頻度を増しています。)

8 補論

 (1)前近代的婚姻制度について

 前近代的婚姻制度として最も普遍的に見られる形態は、財産(土地や流動資産)・権力・安全(財産・権力及び生命を災害や戦争等から守ること)、の全部または一部を確保するために婚姻によって家と家が結びつく、というものです。

家と家が婚姻で結びつけば、財産・権力・安全の全部または一部を確保するための人的資源を(成人たる拡大家族員の拡大とその拡大家族への子供の生誕によって)増やすことができるのですから、このような前近代的婚姻制度は、非個人主義社会(非アングロサクソン社会)にあっては、極めて合理的な社会制度であると言えるでしょう(注17)。

(注17)婚姻によって財産・権力・安全の分布が大きく変わるような場合、婚姻をめぐって紛争が起きることがめずらしくなかった。トロイ戦争(コラム#463468)は、ホメロスによれば、まさにそのようにして起こった。だから紛争防止ために、古典ギリシャ時代のアテネでは、婚姻には議会の同意を要した。

財産も権力も安全も確保するためには膂力が必要であることから、家長には男性が就き、家長たる男性は、配偶者を含め、家の女性に対し優位に立ち、その生殺与奪の権利を持っている場合すらあります。

 ですから、前近代的婚姻制度においては婚姻に、愛情、より直截的に言えばセックス、更に直截的に言えばオルガスム、といったあやふやで移ろいやすい要素が介在する余地は全くありません(注18)。

 (注18)古典ギリシャにおいては、男性の愛は男性だけを対象とする崇高な感情だった。父親が跡継ぎなくして死亡すると、結婚していても女性は強制的に離婚の上、父親の最近縁の男性と再婚させられた。

     古代ローマ時代には、家と家の結びつきを強化するために、妻と妻の交換を行うことがよく行われた。

     中世の欧州においては、貴族は、結婚式で初めて新郎新婦が会ったものだし、庶民も地域によっては、領主が決めた相手と結婚させられ、それが嫌なら領主に上納金を納めなければならなかった。

カトリック教会が、かつて愛は結婚の必要条件ではないとし、今でも結婚は性的欲求を充足させるために行うべきものではない、としているのは、前近代的婚姻制度に完璧なまでに適合的な考え方なのだ。ちなみに、バレンタイン・デー(Valentine’s Day)は、カトリック教会によって、性的欲求(オルガスムへの欲求)が抑制できていることを確認する日として498年に制定された、という経緯がある。現在ではその趣旨が反対になってしまっている。

 この前近代的婚姻制度の下では、家の存続と勢力拡大が至上命題であることから、上流階級では、妻に子供ができなければその女性は離婚の上実家に戻されるのが通例ですし、仮に妻に子供ができても、夫は妾や愛人をつくって子供作りに励むことが奨励されています。また、下流階級では、足入れ婚を行い、子供ができてから正式に結婚をするのが通例です。

 (2)婚姻以外の男女の結びつき方について

 近代婚姻制度や前近代婚姻制度以外に男女の結びつき方がないわけではありません。

 そもそも、人間以外の霊長類(primate)が皆乱婚であることからして、長期にわたる男女の一対一の結びつきを基本とする婚姻制度は、人間の本性に反する不自然な制度であるはずなのです。

 ただし、人間と、人間に一番近い霊長類である類人猿(anthropoid)との間でさえ、大きな違いが一つあります。

 それは、人間の場合、子供が成人になるまで長い年数を要するという点です。

 ここから、類人猿とは違って、子育てに父親の協力も得る必要が出てくるのです。

 だからこそ、子育てに気長につきあってくれる男性を選別する必要に迫られて、前に(このシリーズ冒頭で)紹介したように、自分のオルガスムが容易に得られない女性が自然淘汰の結果生き残って来たわけです。

 しかし、だからと言って、人間の女性が一人の男性としかセックスをしない、ということにはなりません。類人猿の頃からセックスに関しては余り進化していない人間の男性が色々な女性とオルガスムを味わいたい(セックスをしたい)のと同じく、女性だって子育てに気長につきあってくれる意欲と能力がある男性でさえあれば・・この条件を満たす新たな男性を見つけるのは容易ではないけれど・・違う相手とオルガスムを味わいたい(セックスをしたい)ことに変わりはないからです。

 ここから、前近代婚姻制度や近代婚姻制度が確立する以前は、人間社会は一夫一妻制ではなく、多数が一夫多妻制(Polygamy)的乱婚社会であり、少数が一妻多夫制(polyandry)的乱婚社会であったはずであることが容易に想像できます。

 このような観点から前近代婚姻制度を改めて見てみると、この制度には一夫多妻制的乱婚の時代の名残りがあることが分かります。してみると、イスラム教における一夫多妻制は、前近代婚姻制度の中でそれほど特異な形態とは言えないのではないでしょうか。(他方、初期のモルモン教における一夫多妻制は、近代婚姻制度の中では極めて特異なものであると言うべきでしょう。)

 他方、一妻多夫制は、チベット・ネパール・スリランカ・北インド・ラダク・支那の雲南地方・サハラ以南のアフリカ、ブラジル北西部、の部族の一部、でかつて見られたところです(http://en.wikipedia.org/wiki/Polyandry。7月30日アクセス)。

 日本の平安時代の貴族は母系相続であり、女性が住んでいる家に「夫」(時には複数)が通ってきて、子供が生まれるとそのまま自分の家で育てる場合がありました(典拠省略)が、これは事実上の一妻多夫制と言えるのではないでしょうか。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.amazon.com/gp/product/product-description/067003407X/ref=dp_proddesc_0/104-3120900-9991169?%5Fencoding=UTF8&n=283155http://hnn.us/roundup/comments/10248.htmlhttp://cms.psychologytoday.com/articles/pto-20050506-000006.html(7月16日アクセス)http://commentary.org/article.asp?aid=12001081_1、、http://hnn.us/roundup/entries/12910.html(以上、上掲)、及びAlain Macfarlane,Marriage and Love in England 1300-1840, Basil Blackwell 1986(コラム#88による。)

 近代婚姻制度の崩壊が目前に迫っている日本の皆さんが、男女の結びつき方が今後どうなっていくのかをお考えになるにあたって、以上を参考にしていただければ幸いです。

(続く)