太田述正コラム#8172005.8.8

<不平等の病理(その1)>

 (本篇の上梓は8月1日です。4日から12日まで夏休みをとるので、上梓頻度を増しています。)

1 始めに

 英米の歴史学や社会学等人文・社会科学の動向を追っていると、まさに日進月歩であり、これに比べると、日本の人文・社会科学は目を覆うような停滞状況が続いています。(他方、自然科学については、日本もそこそこ頑張っているように思います。)

 しかし、日本の人文・社会科学者からは勝ち組も負け組も余り出ないおかげで、彼らの大部分は幸せで健康な生活を送っているに違いありません。

 冗談かって?いや、冗談では全くありません。

 英米の社会学の最新の成果の一つをを踏まえると、上記のような結論になるはずなのです。

このことがわれわれに何をつきつけているか、考えてみたいと思います。

(以下、特に断っていない限りhttp://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,6121,1538844,00.htmlhttp://www.ucl.ac.uk/ichs/abstracts/wilkinson.htmhttp://www.innovations-report.de/html/berichte/gesellschaftswissenschaften/bericht-45730.htmlhttp://www.inequality.org/wilkinson.html(いずれも7月31日アクセス)による。)

2 不平等の病理

 経済データが整備されているOECD加盟国で見ると、所得分配が平等である国ほど平均寿命が長いことが分かります。

 例えば、ギリシャは一人当たりGDPが米国の半分しかないのに、所得分配がOECD加盟国中最も不平等で平均寿命が最も短い米国よりも平均寿命は長いのです。

 また、過去における顕著な例としては、1970年には英国並みの所得分配平等度で、英国並みの平均寿命だった日本が、所得分配が急速に平等化し、世界(世銀にデータを提供しているすべての国の中)で最も平等となり、1980年代終わりまでに、世界で平均寿命が最も長い国になったことが挙げられます。

 同じ趣旨のことは、特定の国における地域や階層についてもあてはまります。

 例えば、米国のニューヨークの貧困な黒人の居住地区であるハーレムの住民の平均寿命は、バングラデシュより低いことが分かっています。

 殺人やヤク中毒死を除くと、ハーレムの成人住民の死因の三分の二は循環器系の疾患です。彼らの栄養水準にさして問題があるわけではありません。疾患の原因は、社会の最底辺に棲息しているため、誰からも敬意を払われず、およそプライドを持つすべがないことに由来する、彼らのストレスであり鬱感情なのです(注1)。

 (1)ハーレムでは乳児死亡率も、殺人率も高いが、そもそも乳児死亡率(乳児で死亡するのは低体重生誕児に多い)も殺人率も所得分配の不平等度(すなわちストレス度)と強い正の相関関係を持っている。

 また、ちょっと背筋が寒くなりますが、同じ趣旨のことが、職種に関しても、特定の組織の中の職階に関してもあてはまるのです。

 一般的に言って、(社会的ステータスが高い)ホワイトカラーより(社会的ステータスが低い)ブルーカラーの死亡率の方が高いことは以前から知られています。

 英国の官僚機構を見ると、最上位職階の人から最下位職階の人との間には死亡率で実に3倍もの開きがあり、最上位から最下位にかけて次第に死亡率が高くなる傾向が鮮明に見られます。

 以上等から総じて、「ある社会において社会的ステータスの分布が不平等であればあるほど、社会的ステータスが下位の人々を見ると、ストレス度が高く、他人への信頼感(trust)が低い一方で敵意(hostility)は高く、友人は少なく、投票等の社会活動や地域活動への参加は怠られ、ヘビースモーカーやアル中や過食症が多く、不健康であり、犯罪は多く、寿命は短く、子供の成績は悪い。また、その社会全体としても、階層間移動がとどこおり、地域間移動も妨げられて社会はゲットーの寄せ集めと化し、社会的安定が損なわれる傾向がある。(財力や権力は社会的ステータスを示す指標と考えられている。)」と言えることが分かってきたのです。

3 検証

 どうして、最近になってようやく以上のような病理が判明してきたのでしょうか。

 それは、比較的最近まで、基礎的な栄養・衛生水準があらゆる成員に行き渡った国・地域等が少なかったからです。

 基礎的な栄養・衛生水準が行き渡っていないような国・地域等に関しては、言うまでもないことですが、所得が増えれば栄養・衛生水準が上がり、平均寿命も高くなる、という単純な相関しか見えては来ません。

 ところで、興味深いことに、以上のような病理は、人間以外の霊長類でも見られることも分かってきました。

 バブーン(baboon)とマカク(macaque)についての研究があるのですが、彼らの社会ヒエラルキーの底辺にいる個体はストレスに苛まれ、血圧が高く、死亡率が高いというのです。

 人間に関しては、現在の先進国以外については研究が余り進んでいないのですが、狩猟採集経済においては、社会的ステータスの差がほとんどないので、以上のような病理は少ない、と考えられています。また、(前近代的婚姻制度の下にあるところの)発展途上国の大部分では、社会的ステータスは固定されており、そのことを正当化するイデオロギーで人々が「洗脳」されているため、人々はストレスを余り感じることがなく、従って病理が顕在化することもほとんどない、と考えられています。

(続く)