太田述正コラム#10451(2019.3.24)
<八幡市市民講座・福岡オフ会での質疑応答(その1)>(2019.6.11公開)
1 八幡市レク(Oは私)
A:水戸出身の者だが、水戸徳川家は尾張徳川家よりも尊王度において遜色があったと言えるのか。
O:水戸は口では尊王だったけれど、行動が必ずしも伴っていなかったということなのだ。
尾張の最初の藩主(義直)は、尊王の理由から将軍の命令を拒否したことがあり、爾後、そういう意味での尊王が尾張藩の藩論になったところ、その類の話が、水戸に関しては皆無のはずだ。
B:原爆投下がなければ、杉山はいつ降伏するつもりだったのか。
O:米国は10月に日本本土侵攻作戦を開始する予定だったのであり、(それを杉山らも予想していたところ、)少なくとも米軍が日本本土に橋頭保を築いた時点以降だろうと私は見ている。
C:海軍の評価が低いようだが、具体的には例えばどういうことなのか。また、そもそも、どうして陸軍に比べて海軍はダメだったのか。
O:分かり易い事例を挙げれば、終戦直前、海軍は大臣が終戦、軍令部(総長と次長)が継戦を唱え、対立し、醜態を晒したのだが、陸軍は最後まで一枚岩だったし、そもそも、そんな総長と次長を選んだのは(ずっと以前から終戦論者であったところの)大臣の米内光政であり、米内には海軍部内の高級幹部を見定める眼力すら持ち合わせていなかった、というわけだ。
これだけで、海軍のダメさかげんが分かろうというものだ。
で、そうなってしまった原因だが、そんなことを調べる意義など余りないと思って調べていないところ、恐らくは、陸軍と違って海軍には幼年学校がなかったことが大きいのではないか。
D:自衛隊の場合は、陸海空の人気に違いがあるのか?
O:一貫して、空陸海の順番だ。
海は、艦艇生活が嫌われるのだ。
E:杉山があえて米国に対して日本を開戦させたと言える根拠は?
O:アジア解放だけを追求するのであれば、英国に対してだけ開戦すればよかった。
現に、本国政府はともかくとして、当時の駐日英国大使(ロバート・クレイギー)はそれを予想して心配していたのだが、杉山らは、(外務省等が唱えたところの、)英米一体論に藉口して対英のみ開戦論を封じ込めた。
そもそも、米国は、英国と戦って独立したのであり、独立後まもなくもう一度英国と戦争をしている。
それ以降も、少なくとも満州事変の頃くらいまでは、米国にとって英国が最大の仮想敵国であり続けたのだから・・。
よって、1941年12月という、もはや、英国がドイツとの関係で最も危うかった時期を乗り越えた後ですら、対英のみ開戦はありえたし、その場合でも、米国は絶対対日参戦はしなかったはずだ。
にもかかわらず、繰り返すが、杉山らは対英のみ開戦をさせなかった。
米国を引きずり込んで、日本を占領させ、ソ連と対峙させるために・・。
F:明治維新の話も面白かった。
O:今年のNHK大河は面白くないが、昨年の大河は啓発的だった。
第一次長州征伐の時に、司令官になったのは尾張徳川家(の事実上)の藩主(の慶勝)であり、彼を選んだのは幕府だが、参謀長格に西郷隆盛を就けたのは恐らく彼だろう。
しかも、ある程度長州を叩いた時点で、彼が西郷に後はお前に任せる、と言い渡す場面が大河に出てきた。
その西郷は、長州藩の家老3名の切腹だけで「穏便」に手を打ったわけだが、こういったことの背景に、島津家と尾張徳川家の間の疑似血縁関係があったということなのだ。
G:今後、日本はどうなるのか、再軍備、「独立」ということになるのだろうか。
O:それを私に聞かれても困る。
決めるのは皆さんであり、世論だ。
もっとも、かつてのマウリア帝国は(人間主義教である仏教を国教にした結果)滅びてしまったけれど、日本の場合は、「独立」しなかったとしても、米国の属国から中国の属国に変わるだけで滅ぼされるようなことはないだろう。
中国は、かつてのローマがギリシャに対してそうしたように、敬意をもって属国日本を扱ってくれるはずだ。
そういう意味ではご安心を。