太田述正コラム#833(2005.8.23)
<原爆投下と終戦(追補)(その4)>
この記事の内容の要点をご紹介しましょう。
まだ完全に歴史家の間で決着が付いたとは言えないが、原爆投下は必ずしも終戦を早めなかった可能性がある。
そもそも、1945年の夏までには日本は既に疲労困憊していた。太平洋の諸島やビルマから日本軍は駆逐されていたし、日本の都市は空襲で灰燼に帰していた。とりわけ決定的だったのは、米国の潜水艦が日本の輸送船を殆ど沈めてしまっていたことだ。米軍の中にも日本の降伏は時間の問題だという見方があった。だから、原爆投下はソ連の参戦以前に日本を降伏させようという米国政府の悪しき企みのためだという疑惑が拭えない。
原爆投下直後に早くも急進的無神論者の米国人(Dwight Macdonald)一人と保守的カトリック教徒の英国人一人(Ronald Knox)が原爆投下を声高に非難した。
この米国人は、「このような残虐な行為は、文明の擁護者を自認する「われわれ」を、道徳のレベルにおいて「彼ら」たるマイダネク(Maidanek。ナチスのユダヤ人強制収容所の一つ(太田))の獣達と等しくするものだ。そして、「われわれ」米国人は、「彼ら」ドイツ人と同等の責任をこの凶行(horror)について負っている。」と彼が出版していた雑誌に記した。
また、この英国人は、本を出版し、原爆投下が人道的見地からも宗教的見地からも許されない、と主張した。
もっとも、原爆投下は、それまで行われてきた一般住民を対象とする戦略爆撃と質的にそう違うものではない。
先の大戦開戦時の1939年、当時の英首相のチェンバレン(Neville Chamberlain)は、議会で「敵がどういうことをやってこようと、わが政府は単にテロ目的で女性や子供等の一般住民(civilian)を意図的攻撃の対象とすることはない」と胸を張って言い切ったものだ。
しかし、戦争の進捗につれて、何の議論もないどころか、誰も気がつかない間に、英国と米国は、「単にテロ目的で」ドイツの大部分の都市を破壊し、10万人の子供を含む数多くの住民を殺戮するに至った。
これには慄然とせざるを得ない。
20世紀の初めに、英軍兵士の誰に対してでもよい、20世紀中に、戦争はもっぱら一般住民の殺戮を意味するようになろう、と言ったとする。言われた兵士はあなたが気がふれていると思うことだろう。
しかし、コソボ紛争(1998?2000年)を見よ。
人類史上初めて、一般住民だけが殺された戦争が20世紀に生起したのだ。
先の大戦は、ここに向かって人類がとめどもなく堕ちていく第一歩だったのだ。何せ先の大戦においては、30万人の英軍兵士が死んだが、ドイツでは一般住民が60万人も殺されたのだから。
一般住民を相手にする戦争は、極東では一層の進展を見せた。
東京大空襲だけで長崎への原爆投下より沢山の8万5,000人の一般住民が殺され、原爆投下を除いても、合計30万人の一般住民が焼夷弾攻撃で殺されたのだから。
3 終わりに代えて
ご感想はいかがですか。
英国のメディア(の最上級のもの)のクオリティーの高さがお分かりいただけたのではないでしょうか。
それにひきかえ、米国のメディアの最上級のものでさえ、自己中心的な見方から免れていないことも同時にお分かりいただけたことと思います。
そんな米国が世界の覇権国であることは、非アングロサクソン国が覇権国であることに比べればはるかにマシではあるものの、日本を含む米国以外の世界の国々にとっては不幸なことだと言って良いでしょう。
それよりも何よりも、そんな米国の保護国であることに日本が甘んじ続けていることを、皆さん、どう思われますか。それはわれわれ日本人にとっての不幸であるだけでなく、世界第二の経済大国である日本が米国を助け、あるいはたしなめる役割を放棄してきたことは、(米国を含めた)世界にとっての不幸でもある、とお思いになりませんか。
私が役所を飛び出して(米国からの)日本の自立を訴え始めてから4年半近くが経過しましたが、今回の総選挙においても依然として、このことはイッシューにすらなっていません。
李登輝総統の台湾に生まれた悲哀ではありませんが、戦後日本に生まれた悲哀に加え、自らの非力さを、痛切に嘆じる今日この頃です。