太田述正コラム#842(2005.8.30)
<郵政解散の意味(補論)(続)>
「私有自楽」さんより、コラム#834をコメントしたメールがあったので、ここに転載させていただくとともに、私の再コメントを、今回と次回の二回に分けてつけることにしました。
メールや私のHPの掲示板への投稿をコラムに転載させていただく際には、本来、ハンドルネームでなく本名を明かしていただいた方が良いと思いますが、「私有自楽」さんについては、一度ハンドルネームのまま、投稿をコラムに転載した経緯があるので、今回もハンドルネームのままにしています。
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私有自楽
ロシアについての評価はここではおおよそ同意することにしましょう。
細かく言えば多くの異議はあるもののそれを述べていると話が逸れてしまいますので。
しかし、同じ論理で日本についての記述が始まる辺りからは同意しません、日本についての捉え方は大いに異なります。
丁寧に語ると幾らでも書けるのですが、現在私にはゆっくりご返事している時間がないので、乱暴ですが、ロシアとは社会体制、社会基盤、産業社会の構造と厚みが違うこと、またそれを育んできた歴史が違うことだけを指摘してロシアと同様の道を歩むことなどありえないと結論だけ申し上げておきます。
ロシアはツァーと農奴の社会は経験していても高度の封建社会を築いた経験を持たないままに共産革命になだれ込んで行ってしまった国である。
一方、日本は最も完全な封建社会の秩序を築いた経験がある国であると同時に重層的に堺、近江、江戸の町人社会とその文化を保有し引き継いで来た国である。要するに社会のベースには筋金入りの町民社会(市民社会と微妙に異なる)があり、封建社会と同居した町民産業社会の数百年の歴史があり、その間には太田さんの言うところの弥生モード期を何度も経験していることを申し添えます。
ここで私の主張をより良くご理解を頂くためにここでわざと少々脱線します。
太田さんは政治体制をアングロサクソン的政治形態と、ローマ法(或いはナポレオン法典)に基盤を置く大陸型政治形態の二つに分けてわかりやすく解説していらっしゃいます。
私もこの分類には大いに賛同する者ですが、私はこの分類の他に、日本社会に限っては、これにもう一つの対立軸を設定して観察しています。
それは現在の社会を「士農工商」社会に見立てて「士農」型と「工商」型との二つに分けて考える方法です。(上田令子氏の論(http://www.ueda-reiko.com/02a.html)より借用)
太田式分類をX軸とするならば、「士農工商」社会を「士農」型と「工商」型とに分ける考え方をY軸に置いてお考え下さい。
このように二次元で捉えると、大田さんと私有自楽の主張の共通点と対立点が明確に見えてきます。
以下、Y軸についてのみ説明します。
政治・軍事の世界は当然「士」の価値観の世界です。
また、この「士」の価値観は「農」を統治した関係上その価値観は「農」の価値観と表裏一体をなし、親和性は高いようです。
一方、この価値観とどうしても相容れないのが「工商」の価値観で、この価値観は西欧社会では市民革命後台頭した価値観の様に言われていますが、日本ではもっと古く、堺、大阪、江戸の民衆の間ではごく普通に昔からあった価値観だったのではないかと想像しています。
また「商工」と言ってもヨーロッパのギルドやマイスター達の世界は「士農」の社会のサブシステムであり、ヴェニスや堺の商人達の社会とはかなり異なったものと捉えています。
また、「士」身分の人達の中にも僅かながら例外的な精神構造を持った人も居るわけで、歴史上では勝海舟、坂本龍馬、福沢諭吉、渋沢栄一等に代表される人々は「士」の身分でありながら「商工」型のフィロソフィーを持っていた人々だったと想像しています。
また、未だ確証を掴むには至っておりませんが意外や幕府最後の老中小栗上野介にもその匂いを感じています。
そして、それ以外の日本の殆んどの指導者達は尽くと言って良いほどに「士」の理想と、「士」価値観を持った人々でした。
結論から先に入りましょう、太田さんは典型的に「士」の価値観で物事を判断なさり、主張なさる日本の指導層の方と同じ発想の方のようです。
それに対し、私は典型的に「商」の価値観で物事を判断し、主張するようです。
ここに同じテーマについての二人の異なる見解が発生してくる原因があります。
どちらが正しく、どちらが良いというのではありません。
二人とも、アングロサクソン的政治形態の方が望ましいと考え、今後の日本には弥生モードの考え方がぜひ必要と共に考えながらも、ここ彼処で意見の一致を見ないのはこの点に違いがあるということに気がついたのです。
以下、二人の異なる見解を併記してみました。
括弧内は竹中平蔵氏が最近出された素人の為の経済講義からの引用ですが、「軍事にしても政治にしても相手の方が強くなるということは、自分が弱くなるということなんです。ところが経済は違う。隣の国が良くなるということは、自分も良くなるチャンスが出てきたということ…」 という一節があります。この「ところが経済は違う。…」以降の後段の発想は正に「商」の、商が本能的にする発想です。
軍事や政治を本分となさる「士」である太田さんが下記のことを本能的に次のように結論付けられることは自然なことです。
> 私は、日本の1990年代以降の失われた十有余年は、米国の要求に従って、過早に、他律的にかつ非体系的に政治経済のアングロサクソン化を実施したためにもたらされた、と考えています。
> さりとて、ロシアのように一挙にアングロサクソン化を実施していたとすれば、日本もまた滅びていた可能性大です。
しかし、商人であることを本分とする私は次のように考えます。
1990年代以降の失われた十有余年は、「米国の要求に従って、…アングロサクソン化を実施したためにもたらされた」、とは全く考えません。
むしろ米国は適切な助言をし続けてくれていたとすら考えます。
その助言を曲解し、最も愚かな決してやってはいけない政策を実施したのが当時の橋本総理大臣と三重野日銀総裁で、彼等は単に無能でバカだったのだ、より正確に言うならば省益は考えても、民のことは念頭にない人々なのだと思っているのです。
米国批判は、肥満児の健康の為には適度の食事制限と水泳等の運動が良いという医者の助言を曲解し、バブルでぶくぶくに太った我が子を三日ほど絶食させた上で、手足を縛って水に放り込んで溺死させた親が、ダイエットと水泳を勧めた医者の責任を追及しているような発言に聞こえるのです。
長銀問題にしても、「頭取に縄目の恥を受けさせ…」とは考えずに、頭取は株主に対して背任行為を行った明白な犯罪者であると考え、刑事罰の他に損害賠償の穴埋めの為に、一般の銀行債務者同様に、頭取の私財没収が行われないことを不思議に感じるのです。
長銀自体は破産処理すればよく、預金者は預金の返済が受けられなくて当然、それが預金者の当然のリスクというものであり、どうしても金融秩序の為に預金者を救いたければ、ここに税金を投入すれば良いのです。
そうすれば経済犯罪人たる頭取を始め役員達の救済や禿げ鷹ファンドを儲けさせる結果となった莫大な税金の投入の必要はありませんでした。 腐った組織温存の為に税金を投入したこと自体が責められるべきで、その結果としてリスクを取ったリップルウッドが儲けたのはその額が如何に大きくとも当然の報酬です リップルウッドは断じて責められるべきではありません。
責められるべきは無能な交渉と投入してはいけない所に税金を投入した役人であり財務省の方です。
日本が滅びるとすれば、決して自らが私財をリスクに曝して責任を取ることをしない役人に不当な決定権を与えるようなシステムを温存するからであり、その事を棚上げして、禿げ鷹ファンドや米国政府のせいにするのはとても恥かしい筋違いの話しと感じるのです。
「士」たる太田さんは次のように述べられました。
> 調査部だけからも竹内宏や日下公人らの逸材を輩出させてきた長銀を壊滅させて人材を散逸させ…、と。
「商」たる私有自楽は次のように考えます。
長銀がそれまで得ていた金融の護送船団方式による独占的利益によって竹内宏や日下公人らの逸材を独占的に囲い込んでいた状態から、彼等逸材を世の中誰でもが世の中全体で彼等の能力を活用させて頂けるようになったことは素晴らしいことです。もし竹内宏氏や日下公人氏らの将来が暗いものになったり年収が下がったのだとすれば、それは長銀が不当に高い報酬を彼等に払っていたということであり、その逆ならば彼等は水を得た魚の様に更に広い世界に羽ばたけるチャンスを得たのだと思います。 私はきっと彼等は後者の方だろうと考えており、彼等の高い能力を最も高く評価してくれる所で、或いは日本国民全体で共有できることはとても好ましいことだと考えています。(想像ではなく、ご本人達の率直なご意見を伺いたいものですね)
> すなわち、「日本自身のニーズに従った制度設計を行い、日本自身が設定したスケジュールに従って推進」する以外に日本がアングロサクソン化するにあたっての王道はないのです。
いかにも「士」の世界の人が本能的に正義と錯覚し主張しそうな考え方です。
太田さんのこの議論は多くの誰でもの共感を得やすい、それ故とても危険な発想です。
真実は、日本自身のニーズに従った制度設計など神様以外誰にも作れないのです。
「こういう制度を作ろうとする考え自体が、バベルの塔を築こうとするに等しい誤った考えである。」と人は謙虚に考えたほうが良い社会に確実に近づけます。
何故ならば、誰かに都合の良い制度は必ず誰かには都合悪く、今適合した制度は次の瞬間には最早時代遅れになるからです。
壮大壮麗な法典を作ろう等としてはいけません。現状の悪い所を直ぐ直し、個別に最善と思われる判断を積み重ねていく、人智の及ぶところはせいぜいここまでです。
ここにも多少「ローマ法」と「英米法」との対比に共通するところがありますね。
卑近な例で言うならば、郵政民営化のより良い案を煮詰めるために更に審議を重ねる必要がある、という民主党の主張よりも、今より多少でもマシな民営化案を取敢えず実現しその上で悪い所を修正していくというスピード感のある小泉政策を重ねていかないと人々の住みやすい世の中になりません。民主党のいう様にしていたら継続審議の懸案だらけになり、その間既得権者は甘い汁を吸い続けることが出来、それを永遠に続けることさえ可能です。
この様な、より良い方向への暫時改善主義こそがアングロサクソン化の王道なのではないでしょうか。
> 私の言いたいことの第二点は、かかる制度設計にあたっては、長期雇用(典拠失念)や系列http://www.asahi.com/business/update/0626/003.html。6月26日アクセス)や摺り合わせ(藤本隆宏「能力構築競争―日本の自動車産業はなぜ強いのか」中公新書)といった日本型政治経済体制下で培われたところの、アングロサクソン的政治経済体制下においても日本等においては維持した方がよさそうなシステムを生かすこと等を考慮する必要があるということです。
このご主張には全く同意しません。
この点では、太田さんと私とは全く別の世界に住んで居るようです。
結果としての長期雇用は大いに望ましいものですが、長期雇用の為のいかなる施策も人間関係ばかりか人間の尊厳と品位そのものまで貶めます。
系列についてはお薦めの書物を未だ読んでいないので言葉の定義がハッキリしませんが、資本や信用についての「系列」の概念まで否定するつもりはありませんが、系列故の商品優先選択買付けなどは考えられないことです、それこそその発想は親の仇です。
「摺り合わせ」には何の違和感もありません、人間社会では当然に必要とされることであり、またその「摺り合わせ」こそが交渉そのものでもあると考えています。
> 私が言いたいことの第三点は、この点が最も重要なのですが…、
太田主張を特段に否定するものではありません、国家と言うものは、弱ければつけ込まれ、強ければ理の通った話し合いが互いに出来る様になる、というだけのことです。
今日の太田さんは米国に対して殊更に被害妄想的になっておられるように感じますが、「日本も他国に対してせめて理の通った話が出来る程度には普通の国になって居なければいけません。」という意味だと理解することにします、全く同感です。
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<太田のコメント>
1 「士農」「工商」対置論について
>それは現在の社会を「士農工商」社会に見立てて「士農」型と「工商」型との二つに分けて考える方法です。(上田令子氏の論(http://www.ueda-reiko.com/02a.html)より借用)
ここは、専門家の典拠をつけていただきたかったところですが、「士農」と「工商」に分ける発想は面白いですね。
 かつてイサドラ・バードが、李氏朝鮮における「工」と「商」の未発達の原因は、(「士」による)政治の搾取性にある、と指摘した(コラム#404)ことが思い起こされます。
 さて、私は、「江戸時代には日本は数百の藩に分かれ、藩ごとに言葉(方言)も違えば、考え方も違っていました。また、士農工商という身分制度は(負の面はさておき、)身分ごとに異なった考え方の人々を生み出していました。この異質のものがせめぎあうダイナミズムがあったからこそ、日本は近代化を円滑かつ急速になしとげることができたのです。」(コラム#358)と書いたことがあります。
私は、欧米列強が東漸してきた時点での日本と朝鮮半島の決定的な違いは、幕藩体制下の日本では「士」が藩単位で重商主義的政策を行い、「農」「工」「商」のそれぞれをそれなりに発展させ、「士」はもとより、「農」「工」「商」のいずれもが誇りを持って仕事を行っていたところにある、と考えているのです。
 すなわち、やや美化して申せば、「士農工商」は相互依存・共栄関係にあり、このうち「工商」が「士農」と画然と区別され、異なった論理で機能していた、とは考えていないのです。(「工商」に藩を超えて活動していた側面があることは否定しませんが・・。)
 この点は、更に議論を深めたいものです。
2 日本自身のニーズに従った制度設計は可能か
 いずれにせよ、
>日本自身のニーズに従った制度設計など神様以外誰にも作れない
というご指摘は、このような幕藩体制を構築した徳川家の制度設計能力を貶めるものではないでしょうか。
 徳川家による制度設計の意図せざる結果として幕藩体制が構築されただけではないか、ですって?
 その点はさておき、少なくとも昭和期に構築され、昭和期が終わる頃にその歴史的使命を終えたところの「日本型政治経済体制」が、幕藩体制の記憶を踏まえつつ、「日本自身のニーズに従った制度設計」によって構築されたものであったことまで否定するのは困難でしょう。
 このように日本は、いくたびも縄文化を、「日本自身のニーズに従っ」てなしとげてきただけでなく、「日本自身のニーズに従っ」て、自らの政治経済体制を支那やイギリスといった外来の体制に全面取っ替えする形で弥生化(支那的国家化・アングロサクソン的国家化)を繰り返してきたのです。
その日本が、再度のアングロサクソン的国家化にあたって、「日本自身のニーズに従った制度設計」ができないわけがありません。