太田述正コラム#10510(2019.4.22)
<映画評論56:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男(その2)>(2019.7.11公開)
2 チャーチル陣営
(1)チャーチル
チャーチルの能力については、前にも取り上げたことがあります(コラム#省略)が、簡単におさらいをしておきましょう。
「ハーロー校の入試を受けた<ところ、>試験の出来はいまいちで、苦手なラテン語にいたっては氏名記入欄以外、白紙答案で提出していたが、元大蔵大臣ランドルフ卿の息子であるため、校長の判断で合格した。ただしクラスは最も落ちこぼれのクラスに入れられた。・・・
ハーロー校での成績は悪かった。・・・
当時のハーロー校には・・・陸軍士官学校への進学を目指す「軍人コース」があり、劣等生は大抵ここに進んだ<が、チャーチルもそうだった>。・・・
しかし・・・陸軍士官学校も入試で多少の数学の知識を要求したため、ハーロー校在学中にチャーチルが二度受けた入試はともに不合格だった。・・・チャーチルは・・・陸軍学校入試用の予備校に入学し・・・陸軍士官学校の入試に三度目の挑戦をして合格した。しかし成績は良くなかったので、父が希望していた歩兵科の士官候補生にはなれず、騎兵科の士官候補生になった。騎兵将校はポロ用の馬などの費用がかかり、そのため騎兵将校は人気がなく成績が悪い者が騎兵に配属されていた。・・・
<それでも、チャーチルは、>1894年12月に130人中20位という好成績で士官学校を卒業し・・・た。
K:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB
(2)アトリー
労働党首のアトリーがチャーチル陣営で果たした役割がいかに大きかったか、から始めましょう。
この映画の中でも、下院で、アトリーが、宥和政策のチャンバレン首相を激しく難詰する場面が冒頭に出てきますが、チェンバレンに退陣を決意させたのはアトリーですし、その後のチャーチル内閣に外相として残ったハリファックスが同じく閣内相として残ったチャンバレンの賛同の下に追求した、ムッソリーニ仲介によるヒットラーとの交渉計画をつぶしたのもアトリーであり、この最後の事実を描いていない、として二人の米国の識者からこの映画が批判されているくらいです。(A-2)
A-1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%AB/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%8B%E3%82%89%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%95%91%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7
アトリーは、チェンバレンの後任にチャーチルをとまで口にしたわけではなさそうですが、第一次世界大戦の時、従軍していたアトリーは、当時海軍大臣であったチャーチルが推進したガリポリ作戦を高く評価しており、この作戦が失敗したのは、実行担当者のせいだと考えていたことから、もともと、チャーチルとは馬が合う関係にありました。(E)
で、そのアトリーの能力ですが、それまでの10代7人・・首相を経験したラムゼイ・マクドナルドを含む・・の労働党党首達の全員が無学歴だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%85%9A_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9) (及び、各人の邦語ウィキペディア)
だけに、最初の大卒の、しかも、オックスフォード出のアトリーが党首になったことは画期的なことでした。
そのアトリーは、首相であった期間を含め、実に20年間労働党党首を務めるのです(E)が、アトリー内閣(第一次。1945~50年)の閣僚達の約半数は無学歴です
https://en.wikipedia.org/wiki/Attlee_ministry (及び、各人の英語ウィキペディア)
から、それより5年前の、この映画が描く時代当時も似たようなものだったことでしょう。
労働党の幹部達の知的能力の平均値は、かなり惨憺たるものであった可能性があるわけです。
それに、大卒幹部の代表格たるアトリー自身、その大学時代の成績は大したことがなさそうです。
というのも、アトリーの平均点が優ではなかったからです。(E、F)
それくらいの成績だったら、政治家としては十分過ぎるだろう、と言われそうですが、ナチスドイツ相手ならそれで充分でも、日本は、超絶秀才の杉山元らかじ取りをしていたのですから、それじゃ、決定的に不足なのです。
(続く)