太田述正コラム#847(2005.9.1)
<イラク戦争の前例探し(その1)>
1 始めに
流血が続いているイラクで、8月31日に、バグダッドのシーア派の群衆の中に迫撃砲弾が撃ち込まれ、更に自爆テロリストが紛れ込んでいるとの噂が流れ、パニック状態に陥った人々が圧死したり、橋から河に落ちて水死したりして600名以上の死者が出ました(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4199618.stm。8月31日アクセス)。
イラクでの米軍の死者も、8月28日現在で1876人に達しています(http://www.globalsecurity.org/military/ops/iraq_casualties.htm。8月31日アクセス)。
このような状況が続いていることから、8月初頭に行われた世論調査では、ブッシュのイラクへの取り組み方を是とする者は38%と過去最低にまで落ち込み(http://www.cnn.com/2005/POLITICS/08/05/bush.ap.ipsospoll.ap/。8月31日アクセス)、また、8月下旬に行われた世論調査では、54%がイラクに米兵を送ったのは間違いだったとし、57%がイラク戦争はむしろ米国にとってテロの危険を増大させたとし、ブッシュ大統領を正直だとする人が初めて50%を割り込みました(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1555819,00.html。8月26日アクセス)。
その米国では、陸軍兵士であった息子をイラクで亡くした母親であるシーハン(Cindy Sheehan)さんが、8月にブッシュ大統領が静養していたテキサス州クロフォードに乗り込んで、反戦運動を展開したこと(http://en.wikipedia.org/wiki/Cindy_Sheehan。8月31日アクセス)が大きな話題を集めたばかりです。
しかし、米国の有識者の中では、関心は次第にイラク以外に移りつつあります。一つは、イラクより、イラク政府を牛耳ることになったシーア派の親イラングループに強い影響力を持つイラン(http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-scheer30aug30,0,543101,print.column。8月31日アクセス)、しかも核武装が懸念されているイラン、の方が心配になってきたからですし、二つには、イラクでは少数派のスンニ派がついに憲法草案策定作業に参加し、その言い分が十分通らなかったものの、今度は憲法に係る国民投票に参加し、憲法を否決しようとしていること等、イラクに政治的プロセスが定着する展望が開けた(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/29/AR2005082901713_pf.html。8月31日アクセス)からです(注1)。
(注1)このワシントンポスト社説は、大統領選挙が成功裏に行われ、今度は国会議員選挙が選挙がタリバンの妨害にもかかわらず、粛々と行われているアフガニスタンでも政治的プロセスが定着しつつあるとした上で、今イスラム世界で一番懸念されているのは、ロシアの北コーカサス地方であるとし、ここにあるチェチェンを始めとする7つの共和国はいずれも腐敗し凶暴なロシア的政府の下にあり、政治暴力とテロが次第に猖獗の度合いを強めてきており、かつアルカーイダ系の勢力が根を下ろしており、政治的プロセスが定着する展望は皆無だ、としている。
とは言え、イラク戦争は終わったわけではありません。
イラク戦争について、米国の有識者の間では、米国が経験したこれまでの戦争になぞらえながら、その最終的帰趨を占う議論が行われています。
これまでの戦争とは、起こった順序に並べると、米独立戦争、米英戦争、ベトナム戦争です。
このほか、英国ではイラク戦争をボーア戦争になぞらえる議論があります。
以下、それぞれについてご紹介したいと思います。
2 どの戦争になぞらえるべきか?
(1)ボーア戦争
まず、ボーア戦争(1899年-1902年)(注2)から始めましょう。
(注2)この戦争については、(コラム#196、310、754等で)何度も取り上げてきたところだ。
米国にとってのイラク戦争(2001年?)を、英国にとってのボーア戦争になぞらえるのが英ガーディアンの論説(http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1555819,00.html前掲)です。
ほぼ100年を隔て、英国は、ドイツや米国の勃興に懸念を強め、帝国維持の重荷にあえぎ(注3)、かつ国内の経済や社会において様々な問題を抱えつつ、ボーア戦争で、1902年に主要な戦闘終了宣言を発しながら、その後非正規戦をしかける少数の相手に苦められ、大兵力(45万人)を送り込んでかろうじて勝利を収めたのに対し、米国は、支那やインドの勃興に懸念を強め、覇権維持の重荷にあえぎ、国内の経済や社会において様々な問題を抱えつつ、イラク戦争で、2001年に主要な戦闘終了宣言を発しながら、その後非正規戦をしかける少数の相手に苦しめられ、大兵力(15万人)を送り込んでいる、というわけです。
(注3)当時の英植民地相チェンバレン(Joseph Chamberlain)は、1902年に、「憔悴した巨人が自分の運命の巨大なる天球を背負ってよろめいている。(The weary Titan staggers under the too vast orb of his fate.)」と語っている。
そしてこの論説は、ボーア戦争当時の英国のように、ボーア人の約四分の一を強制収容所に入れる、といった強圧的方策がとれない米国が果たして勝利を収めることができるのか、疑問を投げかけつつも、英国はそんな米国を引き続き支援して行かなければならない、と締めくくっています。
(続く)