太田述正コラム#10520(2019.4.27)
<映画評論59:ヒトラー ~最後の12日間(その1)>(2019.7.16公開)

1 始めに

 一昨日、Amazon Primeで見た映画が表記です。
 私の関心はただ一点であり、現時点で、とは言っても、表記はもう15年も前の2004年の独伊墺合作映画(Der Untergang=Downfall)ですが、どれだけ、本当のヒトラー像を映画化したか、です。

α:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC_%E3%80%9C%E6%9C%80%E6%9C%9F%E3%81%AE12%E6%97%A5%E9%96%93%E3%80%9C
β:https://en.wikipedia.org/wiki/Downfall_(2004_film)

 結局のところ、それは、私見では、ヒトラーの好意的なユダヤ人観、とりわけヒトラーによるホロコースト直接指示の不存在、を描いたかどうかに尽きます。

2 ヒトラーとホロコースト

 (1)人間ヒトラー?

 この映画を巡る最大の話題は、ヒトラーを等身大の人間として描いた点です。(β)
 確かに、英国人や米国人ではなく、どちらもドイツ人であるところの、ベルント・アイヒンガー(Bernd Eichinger。1949~2011年)制作・脚本、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%92%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC
と、オリヴァー・ヒルシュビーゲル(Oliver Hirschbiegel。1957年~)監督、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
でもって、初めてそのような映画を制作したこと自体、画期的であったことは私も認めます。
 そのおかげ、と言ってもいいのではないかと思うのですが、父親がドイツ移民2世で母親がアイルランド/オランダ系の、米国で最も著名な映画評論家であるロジャー・エバート(Roger Ebert。1942年~)・・学資を稼ぐために始めた新聞記者業が忙しくなりシカゴ大英語博士課程中退の止むなきに至った人物・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Ebert
によるところの、この映画に対する、ヒトラーは、実際には、「人種主義、排外主義、自惚れ(grandiosity)と恐れ、によって焚きつけられたところの、ドイツ人達の多くによる自然発生的蜂起の中心(focus)<に過ぎなかったの>だった」、という、(私のヒトラー観に近い)評論を引き出しています(β)。

 (2)ヒトラーとホロコースト

 しかし、私見では、より重大なのは、ホロコーストが登場しないことです。
 「アイヒンガーは、ホロコーストへの言及は、それがこの映画のテーマ(topic)ではないので行わないことにした。
 彼は、また、強制収容所における「悲惨さ(misery)」と「絶望」を映画的に示すことは不可能」だとも思った。
 <なお、>ヒトラー・ユーゲントのメンバーである、実在しないペーテル・クランツ・・敵の2台の戦車を破壊し、後に、<副主人公の>ユンゲ(Junge)と一緒にベルリンを脱出する・・を<この映画で>登場させたのは、再生の機会へと導くところの、ドイツが自らを守ろうとする企ての象徴的代表としてだ、とも。」(β)

 しかし、にもかかわらず、アイヒンガーは、この映画の中で、ヒトラーに、ユダヤ人の大量殺人をにおわせる発言をさせています。(映画そのもの)
 この場面もまた、後述する理由からフィクションである、と私自身は思っているのですが、さすがに、それくらいの魔除けをしないとアイヒンガーとしても、予想される攻撃的評論が怖くて平常心を保てなかった、ということなのでしょう。
 なお、ペーテル・クランツを登場させた理由に対して噛みついた映画評論家がいないようなのには驚きます。
 他国に攻め込むのは悪いかもしれないが、自国に攻め込まれたらその理由を問わず戦うのは当然であり、その気概がなければ復興などできない、という、アイヒンガーの考えを欧米諸国の識者達は当然視している、ということなのでしょうね。

(続く)