太田述正コラム#852(2005.9.5)
<郵政解散の意味(補論)(続x4)>
(本篇は、コラム#849の続きです。この間、HP(http://www.ohtan.net)の掲示板上で交わされた議論を参照されることをお勧めします。)
6 「士」「商」対置論について
(1)始めに
>軍事や政治を本分となさる「士」である太田さん・・商人であることを本分とする私・・
このような「士」「商」対置論を、日本のアングロサクソン的社会への変革を主張している人がお唱えになるというのは、恐らくアングロサクソンの何たるかをご存じないからでしょう。
実は、個人主義のアングロサクソン文明の「個人」において、「士」と「商」は分かちがたく結びついているのです。
少し長くなりますが、このことをご説明しましょう。
(2)ゲルマン人
アングロサクソンはイギリスに移住・侵攻したゲルマン人ですが、欧州に移住・侵攻したゲルマン人とは違って、ローマ文明の影響を殆ど受けず、ゲルマン人としての純粋性を保ち続けた人々であると私が考えている(注7)ことは、ご承知の方も多いと思います。
(注7)これは人種的な純粋性を保ち続けた、という意味ではない(コラム#461、482参照)。
では、そのゲルマン人とは、どのような人々だったのでしょうか。
私はかつて(コラム#41で)、タキトゥスの「ゲルマーニア」(岩波文庫)の中の以下のようなくだり・・「人あって、もし・・ゲルマン人・・に地を耕し、年々の収穫を期待することを説くなら、これ却って、・・戦争と[他境の]劫掠<のために>・・敵に挑んで、[栄誉の]負傷を蒙ることを勧めるほど容易ではないことを、ただちに悟るであろう。まことに、血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えているのである。」(77頁)・・を引用して、「これは、ゲルマン人の生業が戦争であることを物語っています。つまり、戦争における掠奪(捕獲)品が彼らの主要な(或いは本来の)生計の資であったということです。」と指摘したことがあります(注8)。
(注8)戦争にでかけていない時、つまり平時においては、男性は「家庭、家事、田畑、一切の世話を、その家の女たち、老人たち、その他すべてのるい弱なものに打ち任せて、みずからはただ懶惰ににも打ち暮らす。」(79頁)というメリハリのきかせ方だった。
ゲルマーニアには、「彼らは、公事と私事とを問わず、なにごとも、武装してでなければ行なわない。」(70頁)というくだりも出てきます。
つまり、ゲルマン人の成人男性は全員プロの戦士であったわけです。
しかも、以下のくだりからも分かるように、ゲルマン人の女性もまた、その意識においては男性と全く同じでした。
「妻・・らはまた、・・戦場に戦うものたち(夫や子息たち)に、繰りかえし食糧を運び鼓舞・激励をあたえさえする・・。」(53頁)
戦争が生業であったということは、ゲルマン人はハイリスク・ハイリターンを求める人々(リスク・テーカー=ギャンブラー)であったということです(注9)。
(注9)「彼らは・・賭博を・・あたかも真摯な仕事であるかのように行ない、しかも・・最終最後の一擲に、みずからの自由、みずからの身柄を賭けても争う・・。」(112頁)
注意すべきは、ハイリスクであるとはいえ、戦争は、それが生業である以上、合理的な経済計算に基づき、物的コストや自らの人的被害が最小になるような形で実行されたであろう、ということです。
ここで、女性も戦場に赴いた、という点はともかくとして、このようなゲルマン人と似た特徴を持った民族なら、例えば、モンゴルを始めとする遊牧民を始めとしていくらでもある、という反論が出てきそうですね。
それはそうなのですが、ゲルマン人がユニークだった点が二つあります。
その個人主義と民主主義です。
「彼らはその住居がたがいに密接していることには、堪えることができない・・それぞれ家のまわりに空地をめぐらす。」(81?82頁)、「蛮族中、一妻をもって甘んじているのは、ほとんど彼らにかぎられる・・。・・持参品は・・夫が妻に贈る・・。妻はそれに対して、またみずから、武器・・一つを夫に齎す。」(89?90頁)が個人主義を彷彿とさせる箇所です。
また、「小事には首長たちが、大事には・・[部族の]<成人男子たる>部民全体が審議に掌わる。・・最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。・・会議においては訴訟を起こすことも・・できる。・・これらの集会においては、また郷や村に法を行なう長老(首長)たちの選立も行なわれ・・る。」(65?69頁)のですから、古典ギリシャのポリスのそれ並に完成度の高い直接民主制であったと言えるでしょう。
以上をまとめると、ゲルマン人は、個人主義者であり、民主主義の下で、集団による戦争(掠奪)を主、家族単位による農耕(家畜飼育を含む)を従とする生活を送っており、合理的計算を忘れぬギャンブラーであった、というわけです。
そして以上は、アングロサクソンの属性でもある、ということになるのです。