太田述正コラム#854(2005.9.7)
<郵政解散の意味(補論)(続x5)>
今から1900年以上前の1世紀末に、タキトゥスによって描写されたゲルマン人の特徴が、仮に5世紀にイギリスに移住・侵攻したゲルマン支族たるアングル人・サクソン人・ジュート人にそのまま受け継がれていたとしても、現在のアングロサクソン(注10)にまでそのまま受け継がれているという保証がどこにあるのか、と首をかしげる人もあることでしょう。
(注10)ゲルマン人たるアングル人・サクソン人・ジュート人と基本的にブリトン人(ケルト人)であるアングロサクソンとは、人種的に全く異なる(コラム#461、482)。また、米国は人種のサラダボールであり、米国においてアングロサクソンは今や、人種的には少数派にすぎないことはご存じの通りだ。にもかかわらず、米国は、まぎれもないアングロサクソン文明に属する国家なのだ。
そういう人のためにも、再度ゲルマーニアから引用することにしましょう。ここは、ゲルマーニアで最も有名なくだりなのですが、うっかり引用し忘れるところでした。
「ゲルマーニア族は、・・[共和制時代の]ローマ国民より執政官の軍を一時に五つ、[帝政時代にはいっては]カエサル皇帝・・からさえ、・・三つの軍団を奪ったのである。・・ゲルマーニア族ほど絶えずわれわれの緊張を惹き起こしたものはなかった。――これもひとえに、ゲルマーニア族のもつ自由の意気と精神が、・・強烈であったためにほかならない。」(169頁)
このゲルマン人の「自由の意気と精神」、及びそれと密接な関わりのあるところの「戦争における無類の強さ」、についてのくだりは、あたかもタキトゥスが、20世紀初頭に世界史上最大の帝国を築きあげ、21世紀に入った現在において、世界に覇を唱えるに至った現在のアングロサクソンについて、語っているかのようではありませんか。
これで少しは納得されたでしょうか。
1世紀のゲルマン人の特徴=5世紀のアングル人・サクソン人・ジュート人の特徴=アングロサクソンの特徴、であることを(注11)。
(注11)西ローマ帝国に侵攻・移住してこれを分割支配したゲルマン人は、ローマ化して・・ローマ法を採用して・・旧ローマ帝国臣民並びに市民の上に君臨する王族ないし貴族階級となり、「自由の意気と精神」を失ってしまうが、ずっと以前にローマ勢力が撤退していたイギリスに侵攻・移住したゲルマン人(アングル人・サクソン人・ジュート人)は、欧州時代に培ったコモンロー(実体的・手続き的に「自由の意気と精神」を体現化した慣習法体系。コモンローについては、まだ、私が「アングロサクソン=ゲルマン人」を当然視していた頃に書いたコラムだが、コラム#80参照)を持ち込み、原住民のブリトン人をゲルマン化し、ここにゲルマン人の「自由の意気と精神」と「戦争における無類の強さ」を忠実に受け継いだアングロサクソンが誕生する。唯一の変化は、アングロサクソンの社会単位の規模がゲルマンの社会単位に比べて大きかったことから、会議(議会)制度は残ったものの、「自由」にとって脅威と考えられるに至った民主主義は放棄されたことだ。アングロサクソンが再び民主主義化するのは、19世紀以降だ(コラム#91)。
その後も、アングロサクソンは、11世紀(のバイキングの巨頭ウィリアムによるイギリス征服)に至るまで、絶えることなく、これまた純粋なゲルマン人であるバイキングの侵攻・移住にさらされ続けることによって、「自由の意気と精神」及び「戦争における無類の強さ」を注入され続けます。
それからのアングロサクソンの膨張の歴史はよくご存じでしょう。
アングロサクソンはまず、欧州(フランス等)への侵攻・移住に乗り出しますが、15世紀にフランスに敗れ、その試みは一旦挫折します。しかし、16世紀からは目を欧州から世界に転じ、全世界への侵攻・移住を開始し、20世紀に至って、ついに欧州を含め、全世界を手中に収めるのです。
言うまでもなく、このアングロサクソンの世界支配を担保しているものは軍事力です。
そして、先の大戦後、米国が、世界のどこでも戦略核兵器で攻撃する能力、並びに世界のどこにでも軍事力を投入する能力、を持つに至ったことでアングロサクソンの世界支配が完成したのです(注12)。
(注12)戦後、米国が全世界をいくつかの地域に分割し、それぞれの地域に、太平洋軍等の統合地域軍を割り当てた時点で、アングロサクソンの軍事力による世界支配が形式的に完成し、ソ連の崩壊によって、実質的にも完成した。
それでは、アングロサクソンにおいて、軍事と経済は、一体いかなる関係にあるのでしょうか。