太田述正コラム#857(2005.9.8)
<郵政解散の意味(補論)(続x6)>
まず、押さえておくべきは、プロの戦士であったアングロサクソンにとって経済活動は、戦士としての実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしに過ぎない、ということです。
ここで実益の追求とは、食い扶持を確保した上で、更に個人的戦費及び集団的戦費(税金)を確保することであり、かかる実益の追求を兼ねた趣味ないし暇つぶしを、彼らはいかに楽に行うかに腐心しました(注13)。
(注13)ちなみにアングロサクソンは、「戦士としての実益の追求を兼ね」ない趣味ないし暇つぶしの多彩さでも知られている。彼らが後に、読書・科学研究・スポーツ・レジャー・観劇・旅行、等に狂奔したことが、近代文学・近代科学・近代スポーツ・近代レジャー・近代演劇・パック旅行、等を生み出すことになった(コラム#27)。
タキトゥスの叙述からもお分かりのように、彼らは、その生業としての戦争に従事している間、生死をかけること等に伴うストレスにさられただけでなく、集団行動に伴うストレスにも(個人主義者なるがゆえに)さらされたことから、平時においては、各自がばらばらにリラックスをして過ごすことによって、精神的バランスを回復する必要がありました。
しかも彼らにはその「自由の意気と精神」から支配者がおらず、またその「戦争における無類の強さ」に恐れをなして彼らを掠奪の対象とするような者もほとんどいなかった上に、彼らにとって戦争が経済計算に立脚した合理的営みである以上、戦費は巨額なものにはなりえませんでした。ですから彼らは、支配者に貢ぐために、あるいは外敵によって掠奪されることを見越して、あるいはまた巨額の戦費を捻出するために、ひたすら額に汗して働かなければならない、という状況にはなかったわけです。
そういうわけで彼らが経済活動にあたって考えることといえば、目標とした一定の収益を、いかに最低限の労力やコストの投入によって確保するかだけでした(注14)。
(注14)つい最近まで、こんな贅沢が許される社会は他には存在しなかった。他の社会においては、経済活動従事者は、支配者や外敵による仮借ない搾取・収奪に日常的に晒されているのが通常であり、経済活動従事者は常に最大限の収益を目指さざるをえない、火の車的な生活を強いられていた。しかも、他の社会はアングロサクソン社会のような個人主義社会ではなく、多かれ少なかれ大家族形態の社会であり、一族の特定の構成員が過度に搾取・収奪された等の際にその他の構成員が当該構成員を扶助するためにも最大限の収益を目指す必要があった。また、かかる社会においては、労力を最大限投入する必要上子沢山が奨励された点も、少子社会であったアングロサクソン社会とは全く異なる。
さて、このようなアングロサクソン社会においては、「士」「農」「工」「商」が身分的に分化するようなことはありえないのです。
彼らが全員、士(戦士)であったということは既にご説明しました。
しかも、個人主義社会なのですから、アングロサクソンの各個人は、自分自身(の労働力)を含め、自分が所有する全ての財産を、誰の干渉も受けずに自由に処分する権利を持っており、実際にその権利を頻繁に行使しました。そういう意味で、アングロサクソンは全員が「商」(資本家)でもあったわけです(注15)。
(注15)このような意味で、個人主義社会であるところのアングロサクソン社会は、生来的に(つまり最初から)資本主義社会であると言えよう(コラム#81)。
また、経済活動に関しては、「農」に従事する者(農民)が多かった一方で、少数の「工」に従事する者(職人)や、狭義の「商」、すなわち商業に従事する者(商人)がいました(注16)。とはいえ、それは、単に好き嫌いとか向き不向きによる個人的選択の結果であり、これらが家業として子孫に受け継がれることは基本的にありませんでした。(そもそも、個人に完全な遺言の自由があり、その子供にすら法定遺留分が認められていませんでした。(コラム#89))
(注16)狭義の「商」に関しても、「血をもって購いうるものを、あえて額に汗して獲得するのは欄惰であり、無能であるとさえ、彼らは考えている」(ゲルマーニア・前掲)ため、後々までアングロサクソンの国際商人は同時に海賊でもあり続けた。(コラム#41)
そして、「最低限の労働力やコストの投入」を追求した結果、「農」「工」「商」いずれにおいても、アングロサクソン(イギリス)は欧州(ひいては世界)に対し、額に汗せずにして優位を維持し続けるのです。
「商」については説明を省きますが、「農」については、イギリスの穀物生産は、一貫して欧州のどの国よりも高い生産性(反当収量)を維持し続けました(コラム#54)し、「工」については、「イギリス<の>・・職人<は>・・実に手先が器用<で>・・しかも彼らは世界のすべての国の職人の中で最も工夫に長けている」と評された(コラム#46)のです。
このようなイギリスにおいて、世界に先駆けて産業革命が起こったのは、不思議でも何でもありません。