太田述正コラム#10540(2019.5.7)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その15)>(2019.7.26公開)

 「議論による統治」・・・を担う人間の資質をバジョットは「活性化された穏健性」(animated moderateness)と名づけました。
 そしてその顕現を文学的天才の文章に見出しているのです。

⇒私に言わせれば、筋で魅せる直木賞系文学ならぬ、心理描写で魅せる芥川賞系文学が世界で最初に日本で生まれた・・10~11世紀の紫式部の『源氏物語』!
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8
・・のは日本が人間主義文明の国だからであり、日本以外では最初にイギリスで生まれた・・16~17世紀のシェークスピアの『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%96%87%E5%AD%A6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2
・・のはイギリスが人間主義的文明の国だからなのです。
 で、人間主義は「穏健」なのであって、弥生性のよく言えば「活性」、悪く言えば「残酷と恐怖」、を、日本でもイギリスでも、人間主義が緩和してくれているのです。(太田)

 バジョットはホーマー(ホメロス)、シェークスピア、さらにウォルター・スコット<(注8)(コラム#4177、4197、4414、4885、4924、5109、5242、7595、9916)>を例に挙げて、彼らの文章に現れた「活性化された穏健性」について書いています。・・・

 (注8)1771~1832年。「スコットランドの詩人、小説家。・・・12歳の時にエディンバラ大学古典学科に入学、イタリアの詩人の作を耽読した。1785年に健康のために大学を中退して、父の法律事務所で働き、1792年に弁護士資格を得る・・・ゲーテ、ビュルガー、シラーなどドイツのロマン派文学に惹かれ、・・・1797年にはフランス革命戦争に備えて騎兵義勇隊を結成して訓練に励んだ。この年・・・フランスからの亡命者・・・に出会って結婚・・・その後次々と歴史小説を発表。・・・1805年に法廷弁護士を辞めて、翌1806年からスコットランド最高民事裁判所の高級書記官となり、生涯に渡って勤めた。後にセルカーク州の司法行政長官も務める。・・・1820年に・・・サーの称号を与えられ、また同年エディンバラ学士院院長に推戴された。 」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88
 いかに、スコットランド人が欧州人であるかを、ある意味、スコットが象徴している。

⇒これぞ、イギリス人的韜晦というやつであり、バジョットは、アングロサクソン文明至上臭を薄めるために、大昔の古典ギリシャの文豪、や、イギリス等と共に英国を構成しているところの「隣国」にして事実上欧州文明に属するところのスコットランドの文豪、を、イギリスのシェークスピアの他に「無理やり」付け加えた、といったところでしょう。
 (もっとも、古典ギリシャ文明や欧州文明中のスコットランド文化も、アングロサクソン文明同様に人間主義「的」であった/ある、と言えるのかもしれません。今後の検討課題にしたいと思います。)
 とまれ、ここにバジョットが、ドイツでもフランスでも「活性化された穏健性」が不十分であるということなのでしょう、ドイツのゲーテらもフランスのユーゴーら諸文豪を登場させなかったところがミソであるわけです。(太田)

 それはバジョットによれば、「前進する豊富なエネルギーをもっているが、」どこで止まるべきかを知っている」英国人一般が共有している資質であり、バジョットは「拍車と手綱との結びつき」を世界における英国の「成功」(英国の「近代化」)を説明する根拠としているのです。

⇒近代なるもののメルクマールが、メインが言うように、身分から契約・・階級制から個人主義と言い換えられそうです・・への変化の結果であるとすれば、イギリスは、最初から契約制・個人主義の国だったのですから、近代化することが、即、成功なのであるというのなら、イギリスは最初から成功していたことになり、イギリスに関してはバジョットが間違ったことを主張したのか、三谷がバジョットの主張を誤解しているのか、のどちらかである、ということになります。
 私見では、イギリスの「成功」は、その領域が地勢的に欧州諸国に比して安全かつ豊かであったこと、その豊かさを生来的な個人主義(資本主義)によって一層増進させたこと、そして、地理的意味での欧州において、ドイツ人にこそ及ばなくともイギリス人が軍事に長けていたこと、が相俟って、アイルランドや欧州、後には北米や南アジア等、を植民地にし、その植民地からも富を収奪したこと、によるのであって、この「成功」は「活性化された穏健性」などとはほぼ無関係に達成されたものなのです。(太田)

(続く)