太田述正コラム#10544(2019.5.9)
<映画評論61:イコライザー>(2019.7.28公開)

1 始めに

 昨日、Amazon Primeで表記の映画を鑑賞しました。
 タイトルからして娯楽映画ですし、見始めてから吹き替え版であることに気付いたこともあり、暇つぶしにはなるという軽い気持ちで鑑賞したのですが、まあ面白かったし、結構色んなことを考えさせられました。

A:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%BC_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
B:https://en.wikipedia.org/wiki/The_Equalizer_(film)
C:https://en.wikipedia.org/wiki/The_Equalizer

2 考えさせられたこと

 「『イコライザー』 (The Equalizer) は、2014年に<米>国で製作されたアクションスリラー映画。製作・主演はデンゼル・ワシントン・・・。1984年から1989年にかけて<米>国で放送されたテレビドラマ『ザ・シークレット・ハンター』の劇場版である。」、と、この映画の邦語ウィキペディア(A)には書かれていますが、テレビドラマにヒントを得て作られた映画、というあたりが実際のところのようです。(C)
 筋は、Aを読んでいただくとして、テレビの時は主人公を白人のイギリス人俳優が演じた(C)のに、映画はオバマが大統領の時に作られており、主人公が黒人米俳優に変っているのは、まさに時宜を得ている、と思いました。
 ただ、それにしても、またデンゼル・ワシントン(Denzel Washington)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3
かよ、というわけで、米映画で活躍する黒人俳優達の層の薄さを改めて痛感しましたね。
 私なんぞ、全然、映画愛好家ではないので、おこがましい限りですが、後は、シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%89%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%AF%E3%83%81%E3%82%A8
モーガン・フリーマン(Morgan Freeman)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
そして、エディ・マーフィ(Edward Regan “Eddie” Murphy)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3
くらいですか。
 女優が思い浮かばないのも二重の人種差別的なニオイが。
 こういうことが、変る予兆だといいのですが。↓

 「米国で初めて黒人女性が三大ミスコン制覇 人種の壁越えて評価・・・」
https://www.sankei.com/world/news/190508/wor1905080018-n1.html
(5月9日アクセス)

 さて、米国において、冷戦でのロシア(ソ連)の敗北前にロシアを悪者にした勧善懲悪モノ映画が制作されるのはよくあったことです(典拠省略)が、それはよしとして、冷戦終焉後4半世紀も経った時点でもなおそんな映画が制作されたことに、私は違和感を覚えました。
 もちろん、この映画が描くのは、ロシアならぬロシア・マフィア(Russian Mafia)、と、主人公、との間の戦いなのであって、「1990年代央における米国の安全保障への最大の脅威はロシア・マフィアだった」という米元CIA長官の証言すらある
https://en.wikipedia.org/wiki/Russian_mafia
ことから、(この証言に信憑性はあるのか、少なくとも著しい誇張ではないのか、という疑問が払拭できないけれど、)この映画の悪役は決してロシアそのものではない、と言えないわけではありませんが、やはり、実質的にはこの映画の悪役はロシアそのものなのであって、しかも、このロシアの「悪さ」は、ソ連時代もソ連崩壊以降も変わりがない、という含意がこの映画にはある、と受け止めざるをえませんでした。
 娯楽映画とはいえ、そんな時期にそんな映画が米国で制作された理由を、私なりに想像すれば、悪魔のように強力で姦計に長けた敵がいて、この敵に対し、正義の側のリーダーとして米国が有事即応態勢を維持しつつ対峙していた時代への郷愁、ではないでしょうか。
 この関連で面白かったのは、映画の中で、ロシア・マフィアに積極的、消極的に協力する、米国のマフィアや悪徳警察官達が登場することです。(A)
 この映画の脚本を書いたのはリチャード・ウェンク(Richard Wenk)(B)で、1956年生まれのニューヨーク大で学んだという人物です
https://www.imdb.com/name/nm0921013/bio?ref_=nm_ov_bio_sm
が、彼もいっぱし識者なのでしょうから、米国は、ロシア(ソ連)と組んで第二次世界大戦を戦ったというのに、どうして、戦後は最大の敵になって冷戦を戦う羽目になったのかについて、戦前・戦中には米国内にマルクス・レーニン主義者らロシアの第五列がいて敵を味方だと米国民達に思い込ませていたからだ、という(相当苦しい)説明で(無理やりながらも)納得していて、だからこそ、この映画で米国における第五列たるマフィアや悪徳警察官達を登場させたのだ、と思った次第です。
 私は、知恵遅れの米国を、杉山元らに代表されるところの戦前・戦中の日本が、自らも大変な犠牲を払ってしつけることで「回心」させ、日本の事実上の「狂」番犬・・この映画の主人公生き写し!・・に仕立てて対露(対ソ)冷戦を引き起こさせた、と見ているわけですが・・。