太田述正コラム#871(2005.9.19)
<韓国のマッカーサー像騒動に思う>
1 ことの顛末
韓国で、仁川(Incheon)の公園に建っているマッカーサー(Douglas MacArthur。1880?1964年)の銅像の撤去を求める左翼のデモ隊4,000人と警察の機動隊3,800人との衝突事件が9月11日に起こり、多数の怪我人が出ました(注1)。
(注1)銅像を守ろうとする保守派の市民1,000人も現地に終結していた。
仁川は、1950年6月25日に北朝鮮による韓国攻撃で始まった朝鮮戦争の転回点となった、米軍(国連軍)の反攻上陸作戦が、同年9月15日に実施された場所であり、国連軍を率いてこの上陸作戦を敢行したマッカーサーを称えて1957年にこの銅像が建てられたものです。
石像の撤去を求めている左翼は、マッカーサーは朝鮮半島の南北分断の張本人だ、朝鮮戦争を引きおこした、韓国民間人の大量殺戮を行った(注2)、などと主張しています。
こんなことはすべて、世界のまともな歴史学者の間では否定されているのですが、韓国では頑なにこのような主張を続ける歴史学者に事欠きません(注3)。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509110018.html、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509150005.html、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509090010.html、及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509150006.html(いずれも9月12日アクセス)による。)
(注2)1948年4月3日の済州島での大量殺戮事件及び朝鮮戦争中のNogeun-riにおける大量殺戮事件。
(注3)中には、マッカーサーは、内戦に干渉し、米国政府に軍事介入を要請し、一ヶ月で終わっていたはずの戦争を3年も長引かせた、と主張する者もいるが、マッカーサーは、彼の頭ごなしに米国政府が軍事介入を決めたことに抗議したくらいだ。北朝鮮軍を38度線以北に押し戻してからは、彼はあくまでも米国政府の訓令に従って南北統一のために兵を進めただけだ。1年で終わっていたはずの戦争が長引き、おびただしい犠牲者が出たのは、1950年12月に中共の参戦したためだ。
また米国が、韓国を、極東における米軍の防衛線であるいわゆるアチソン・ラインの外に置いたことを問題視する者もいるが、北朝鮮にソ連がT-34戦車やヤク(YAK)戦闘機を提供するようなことさえなければ、北朝鮮は韓国攻撃を躊躇したことだろう。
2 米国における反応
これに怒った米下院外交委員長を含む同委員会の5名の米下院議員は、1950年の仁川上陸作戦なかりせば、今日韓国は存在していない、と指摘し、このマッカーサーの銅像が傷つけられたり倒されたりするくらいなら、銅像を米国に譲って欲しいとし、朝鮮半島(Korea)における自由の回復のために二度も連合軍を率いて戦った英雄を戦争犯罪人扱いするようなことは、米議会と米国民は到底座視できない、よって銅像の保護のために韓国政府は万全を尽くして欲しい、という書簡を15日に韓国のノムヒョン大統領に送りました。
朝鮮日報の論説は、この米側書簡中の「朝鮮半島における自由の回復のために二度も・・」の箇所は感情的すぎて韓国人の気持ちを傷つける、とたしなめつつも、銅像の撤去を求めている左翼を非難しています。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509160024.html、及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200509/200509160007.html(どちらも9月17日アクセス)による)。
3 感想
この問題に関しても、私がいつものように単純明快、米側寄りのスタンスをとって、韓国の左翼を批判するだろうと思われた方は、間違っています。
なぜなら、朝鮮半島の分断も、そしてこの分断が引き起こした朝鮮戦争も、その責任が究極的には(マッカーサーならぬ)米国に帰せしめられることは、否定できない事実だからです。
皆さん、思い出してください。
20世紀初頭の北東アジアでは、アングロサクソン(英米)が不平等条約下のパートナー日本とともに、朝鮮半島を緩衝地帯として、専制的なロシア・支那と対峙していました。
そして21世紀初頭の現在の北東アジアでも、やはりアングロサクソン(米英等)がその保護国たるパートナー日本とともに、朝鮮半島を緩衝地帯として、専制的なロシア・支那と対峙しています。
問題は、その間に異常なねじれ現象があったことです。
すなわち、その後「独立」した日本の努力のおかげで、アングロサクソンは、上記緩衝地帯を北東アジア大陸部まで前進させることに成功していたにもかかわらず、米国がロシア(ソ連)・支那側に寝返り、やむなく英国もこれに追随したために、日本は足をすくわれてしまうのです。
こうして、再び緩衝地帯が朝鮮半島まで後退し、半島の分断、及び朝鮮戦争が起こったのです。
そして朝鮮戦争で生き残った北朝鮮が、最近になって二度にわたって核危機を引き起こしているわけですが、その責任もまた、究極的には米国に帰せしめられることは言うまでもありません。
マッカーサーは、20世紀中頃の日本を12歳だと言いましたが、米国こそ、図体だけでかい12歳の少年だったのです。
その米国が現在、どれだけ大人になったのか、依然心許ないものがあるものの、いずれにせよ、日本としては、いいかげん前回の「独立」がもたらしたところのトラウマから立ち直り、吉田ドクトリンを克服して再度の「独立」を果たす必要がある、と私は力説したいのです。