太田述正コラム#10584(2019.5.29)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その35)>(2019.8.17公開)

 <彼は、>最後の政党内閣となった犬養毅政友会内閣の下で、五・一五事件の4カ月位前の時点で、その前途に悲観的見通しを立て、「立憲主義」の枠組みを前提としながら、議会に代って「権威をもって決定しうる組織」(専門家支配の組織)を作り出すための概念として「立憲的独裁」を提唱したのです(蝋山政道「憲政常道と立憲的独裁」『日本政治動向論』東京高陽書院、1933年所収、および「我国に於ける立憲的独裁への動向」同上所収)。
 蝋山は「立憲的独裁」を当時の欧米先進国間の共通の現象として見ました。
 ドイツにおける大統領の緊急令(ヴァイマル憲法第48条<(注39)>に基づくNotverordnung<(注40)>による統治<(注41)>、1931年に出現した英国における「挙国一致内閣」<(注42)>、さらにニュー・ディール政策を進める米国の政治<(注43)>も「立憲的独裁」の事例として意味づけたのです。

 (注39)「第48条 ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはそのおそれがあるときは、・・・大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、・・・大統領は一時的に第114条(人身の自由)、第115条(住居の不可侵)、第117条(信書・郵便・電信電話の秘密)、第118条(意見表明の自由)、第123条(集会の権利)、第124条(結社の権利)、および第153条(所有権の保障)に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。」
https://www.y-history.net/appendix/wh1502-078.html
 (注40)国家緊急権。「国家緊急権は抵抗権と同じく立憲主義の擁護を目的に唱えられるものであるが、抵抗権が国家権力による立憲主義への攻撃に対する国民の権利であるのに対し、国家緊急権は立憲主義の防御のために国家権力側が発動する権利であり対照的な構造をなす。・・・
 <憲法のない英国>では第一次世界大戦後から個別立法制度が採用されるようになり、<憲法に緊急権規定のない米国>においては・・・戦争権限法や<ニューディール下の>全国産業復興法がこれに該当する。一方でフランス共和国憲法(第二、第四、第五)、ドイツ帝国憲法、ヴァイマル憲法、ドイツ連邦共和国基本法には国家緊急権の規定が存在する。・・・
 大日本帝国憲法においては、天皇が国家緊急権を行使する規定が制定されていた。緊急勅令制定権(8条)、戒厳状態を布告する戒厳大権(14条)、非常大権(31条)、緊急財政措置権(70条)などである。緊急勅令の実例としては、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある。その他に、1928年(昭和3年)の治安維持法改正に際し、改正案が議会において審議未了となったものを、緊急勅令の形で改正した例があるが、これについては、その緊急性に疑義があるとして、緊急勅令の濫用であるとの批判や「非立憲・違憲的行為」との批判があり、政府部内・与党内にも反対論があった。なお、非常大権は一度も発動されたことが無く、戒厳大権との区別は不明瞭であるとされている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%B7%8A%E6%80%A5%E6%A8%A9
 (注41)ヒンデンブルク大統領による、1930年の議院内閣制の停止、1933年の基本的人権の停止とそれに引き続く議会制民主主義の停止。
https://www.y-history.net/appendix/wh1502-078.html 前掲
 (注42)「<英国>では第一次世界大戦中に成立した第2次アスキス内閣やロイド・ジョージ内閣、世界恐慌対策として1931年のマクドナルド内閣が有名である。他、チャーチルも第二次世界大戦の間、保守党・労働党・自由党というほぼ全政党による挙国一致内閣を組織した。ドイツにおいては、第一次世界大戦中に党派争いが停止されて全党派が政府の戦争遂行を支持する「城内平和」と呼ばれる挙国一致体制が構築された。同時期フランスにおいても「神聖なる団結(ユニオン・サクレ)」という名前で同様の挙国一致体制が築かれた。第一次世界大戦後のドイツは選挙制度が比例代表制だったため、そもそも連立が前提となっていたが、とりわけ1923年にはハイパー・インフレの危機からドイツ国家人民党とドイツ共産党の左右両極を除いた全党派が参加・支持する挙国一致的なシュトレーゼマン内閣が成立した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%99%E5%9B%BD%E4%B8%80%E8%87%B4%E5%86%85%E9%96%A3
 (注43)米国で、「1933年<に>制定<された>・・・全国産業復興法(・・・National Industrial Recovery Act, NIRA)は、・・・不況カルテルを容認する一方、労働者には団結権や団体交渉権を認めたり、最低賃金を確保したりして、生産力や購買力の向上を目指そうとした。またその施行を管轄する行政機関として全国復興庁 (NRA) が設立された。しかし1935年・・・の<諸>裁判によって、<米>最高裁判所が同法の条文<が>「州政府に対する連邦議会または大統領の権限を超越している」とする違憲判決を下したことから、同法は2年足らず廃止されてしまった。それでも最低賃金や労働時間などを定めた労働法に関する部分は1935年の全国労働関係法で改正して引き継がれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E7%94%A3%E6%A5%AD%E5%BE%A9%E8%88%88%E6%B3%95

⇒英国における挙国一致内閣を「立憲的独裁」の範疇に入れるのは、同国には憲法がないのですから、それだけで、「形式的」におかしいのですが、挙国一致内閣が停止したところの、英国における議院内閣制、に至っては、それを規定した法律・・憲法的法律と言ってもよい・・すらなく、単に、18世紀末から19世紀央にかけて形成された慣行に過ぎない
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E9%99%A2%E5%86%85%E9%96%A3%E5%88%B6
のですから、「実質的」にもおかしい、と言うべきでしょう。(太田)
 
 米国の場合、蝋山は「憲法上許されてゐる極度の独裁権」が与えられていると見ました・・・。

⇒「注42」を踏まえれば、米国のニュー・ディール法制に関する蝋山の見解は、厳し過ぎるかもしれませんが、認識不足に基づく早とちりだった、と言えそうですね。
 結局、蝋山が言及したところの、「立憲的独裁」の範疇に入るものは、ドイツのヴァイマル憲法下の憲法諸規定に抵触する統治だけである、ということになりそうです。(太田)

(続く)