太田述正コラム#881(2005.9.28)
<米国の第一の原罪再訪>
1 始めに
米国の第一の原罪である黒人差別については、何度か(コラム#225、306等で)取り上げてきたところですが、このたび、ニール・ファーガソンと同じく英国出身で米国出稼ぎ中であるコロンビア大学美学・歴史学教授のシャーマ(Simon Schama)が上梓した、米独立戦争時の黒人差別をテーマにした本(Rough Crossings: Britain, the Slaves and the American Revolution, BBC Books)が英国で大反響を呼んでいます。
(以下、http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1561552,00.html(9月3日アクセス)、及びhttp://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1577192,00.html、http://news.scotsman.com/features.cfm?id=1949822005、http://enjoyment.independent.co.uk/books/interviews/article309588.ece、http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2102-1790450,00.html、http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2005/09/18/bosch17.xml&sSheet=/arts/2005/09/18/botop.html、http://www.economist.com/books/PrinterFriendly.cfm?Story_ID=4316123、http://www.amazon.co.uk/exec/obidos/ASIN/0563487097/026-6502102-6306820(以上いずれも9月26日アクセス)による。)
「英国で」としたのには訳があります。上記典拠リストをご覧いただくとお分かりのように、英国ではガーディアン(二回!)・インディペンデント・タイムス・テレグラフ・エコノミスト、と著名メディアの書評欄を総なめにしているというのに、米国のメディアは完全にこの本を黙殺している、と言ってもよいからです。
一体この本でシャーマは、どんなことを言っているのでしょうか。
2 シャーマの指摘
1776年から83年にかけての米独立戦争とは何だったのだろうか。
英国のジョンソン博士が、北米植民地の独立派に対して1775年に投げかけた痛烈な皮肉、「自由自由と最も大声で叫んでいる輩に限って奴隷を持っているのはどういうわけだ」(コラム#225)を思い起こそう。
独立派制圧のために北米植民地に派遣された英軍は、黒人奴隷達に自由と土地を約束した。この呼びかけに答え、バージニア植民地だけで3万人もの黒人奴隷が逃亡し、英軍が占領していたニューヨークを目指した。この中にはワシントンやジェファーソンの持っていた黒人奴隷達も含まれていた。
この黒人達は、英軍とともに戦ったり、英軍のためにスパイ役をつとめたりした。
また、米独立戦争と相前後して英本国では、シャープ(Granville Sharp)が、北米植民地から英本国に逃れたきた黒人奴隷の解放と、英コモンローにいう「人は他人の所有物になれない」という原則の確認を求めて裁判を提起し、1772年に勝訴判決を勝ち取っている(コラム#591)(注1)。
(注1)裁判官のマンスフィールド卿(Lord Mansfield)は、奴隷所有者は、英本国においては、(奴隷を船に乗せて連れ帰る等、)その権利を行使できない、と判示した。
これに対し、北米植民地の独立派は、独立戦争が終わったら奴隷所有者になれる、と言って独立軍(大陸軍)への白人の参加を募った。ジョージア州Tybee Islandでは、逃亡した黒人奴隷200人を、白人の指示に従ってクリーク(Creek)・インディアンが虐殺するという事件も起こっている(注2)。
(注2)ただし、独立派の側に与して戦った解放奴隷も、数は少ないけれどいた。
しかし、黒人達にとって不幸なことに、この戦争は独立派の勝利に終わる。
それでも英本国当局は約束を守り、1783年には、ニューヨークからロンドンや(現カナダの)ノバスコティア(Nova Scotia)のハリファックス(Halifax)等の自由の地に向けて3万人以上の黒人を船出させた。
ところが、このノバスコテイアは不毛の地であったため、黒人達の代表トーマス・ピータース(Thomas Peters)は英本国におもむき、窮状を訴えた。
その結果、シャープの尽力により、1792年、白人のクラークソン(James Clarkson。英国の奴隷解放運動家Thomas Clarkson(コラム#592)の弟)率いる黒人1,073人・白人119人の一団は、シエラレオネ(Siera Leone)の現フリータウン(Freetown)に向けて、16隻に分乗して再度船出して行くことになる(注3)。
(注3)シエラレオネには既に1786年にロンドンに渡っていた黒人400人が植民していたが、2年後には病死や再移住でほとんど誰もいなくなっていた(コラム#592)。その「空き地」をノバスコティア組は目指した。
このシエラレオネという瘴癘(しょうれい)の地で、彼らはまたもや辛酸を舐めることになるのだが、現地の法令で白人も黒人も同等の権利義務を有することとされたこの地において、白人もまた黒人によってむち打ちの刑に処せられたし、人類史上初めて(白人や黒人の)女性が選挙権を行使したりした(注4)。
(注4)もっとも、過酷な環境の下、このような理想主義は急速にしぼんでしまう。例えば、1797年には女性は選挙権を剥奪されてしまう。
こういうわけで英国は、米国の黒人達にとって憧憬の対象であり続けた。
米国の最初の黒人の奴隷解放運動家であるフレドリック・ダグラス(Frederick Douglass。1818?95年)も、ハイドパークにおける自由の方をワシントンにおける「民主主義」よりはるかに高く買うと語ったものだ(コラム#594参照)。
3 感想
これまでずっと私のコラムを読んでこられた読者にとって、シャーマの言っていることで目新しいことは余りなかったかもしれません。
しかし、シャーマの本は、彼が監修したBBCの歴史番組を本にしたようなものであり、米国の独立「革命」なるものの偽善性・無意味性が世界の一般市民に向けて発信された意義は決して軽いものではありません。
米国のメディアの沈黙は、米国の第一の原罪を暴き立てるBBCの番組やシャーマの本に対して、彼らがいかに苦々しく思っているかを物語っているのではないでしょうか。
他方、はしゃぎたい気持ちは大変よく分かるものの、英国のメディアはいささかはしゃぎすぎの感があります。
とまれ、英国も食えたものではないけれど、米国よりはずっとマシだ、という私の持論は正しい、とお思いになりませんか。