太田述正コラム#8852005.10.1

<中共に変化の兆し?(続)(その3)>

 (本篇は、9月29日に上梓しました。)

<補足>

ある読者から、

「<中共に変化の兆し?(続)(その2)>に、孔子の再評価が出ています。かつて文化大革命で批孔批林が叫ばれましたが、これは孔子を批判したのではなく、周恩来を批判したのです。中国独特の指桑罵槐の当て擦りです。日本人は単純だから、批孔批林というと林彪と孔子を非難していると考える、と友人の中国人が笑っていました。孔子の再評価を読んでそんなことを思い出しました。」

というメールがありました。必ずしも私の書いたことを批判されているわけではありませんが、念のため、補足しておきます。

いわゆる批林批孔運動だけを見れば、それが、1971年の林彪墜落死事件後に、江青を代表とする4人組が林彪(Lin Biao1907?71)と孔子(Conficius。前551??479?)の批判に藉口して、孔子の崇める周の宰相周公旦(殷周革命の立役者の一人)になぞらえた中共の首相周恩来の批判を意図したものであったこと(http://www.chinavi.jp/kihonyougo_ha.html。9月29日アクセス)は事実です。

しかし、以下に掲げる、秦兆雄(Qin, Zhaoxiong「中国湖北農村の家族・宗族・婚姻」(風響社2005年3月)の「序」からの抜粋(http://www.fukyo.co.jp/02-naiyo/ISBN4-89489-018-6.html。9月29日アクセス)をお読み下さい。(ただし、『』は強調するために太田がつけた。)

「・・・漢人社会において、伝統的な家族、宗族、婚姻制度及び人々の死生観は、相互に深く関連し影響し合っている。『儒教』はこのような伝統文化を体系的に作りあげ、歴史的に維持、強化してきた。また、伝統的な農村社会では家父長と郷紳が、『儒教』の道徳規範に従って家族や宗族及び婚姻制度を通して村人の日常生活と通過儀礼を管理し、社会秩序を維持してきたと言える。

ところが、20世紀の初頭になると、知識人や国民党及び共産党は、これらの『伝統的な道徳規範』や親族制度、人々の死生観などを国家の近代化の障碍と見なすようになった。そして、近代化を推進するために、これらの『伝統文化』を全て否定し、破壊すべきであると強く主張したのである。例えば、1919年に起きた5.4運動に見られるように、魯迅を初めとする多くの知識人は激しい『儒教批判』に加わった。国民党を率いる孫文は1924年に「三民主義」と題する講演の中で、中国人がバラバラの砂だと言われる原因は、中国人は家族主義と宗族主義を最も崇拝しており、民族主義と国家主義が欠落しているからだと指摘した上で、家族、宗族主義を民族、国家主義へ変革する必要性を強調した・・。また、共産党を率いる『毛沢東』は1927年に発表した「湖南農民運動考察報告」の中で、政権、族権、神権及び父権・夫権という四種類の権力は、封建的宗族支配体系の思想と制度を代表しており、中国人、特に農民を呪縛している太い四本の綱であると指摘し、その全てを破壊するための革命を呼びかけた・・。

孫文は革命の成功を目にすることなく世を去り、それを引きついだ国民党政府も長期の内戦と抗日戦争などの事情により、伝統的な家族と宗族及び婚姻制度を変革し、『儒教』を否定する政策は実施しなかった。これに対して、『毛沢東』の率いる共産党は、国民党政権を打倒し、1949年に政権を握ると、そのような政策を強制的に実施した。例えば、共産党政府は1950年に「婚姻法」の公布と土地改革の実施により、伝統的な婚姻形態を改革し、宗族組織を破壊しようとした。また、新しく互助組と合作社を経て人民公社を組織することにより、家族ごとの土地私有を否定した。人民公社期に起きた文化大革命では広範囲にわたる『儒教否定キャンペーン』が徹底的に行なわれ、人民公社後には計画出産や火葬政策などが次々打ち出された。即ち、共産党政府は、伝統的な家族、宗族及び婚姻制度とそれらを支える経済基盤や『イデオロギーなどを改革』し、農民の忠誠心の対象を伝統的な家族、宗族から毛沢東・共産党政府へ転換させることにより、社会主義国家を建設しようとしたのである。・・・」(注4

(注4)漢人の特徴についてのコラム#232233、孫文についてのコラム#228?230234、毛沢東と周恩来の関係についてのコラム#204、毛沢東についてのコラム#744?746750を参照。なお、5.4運動については、コラム#696707712713861に出てくる

つまり、孔子(儒教)批判は、毛沢東のライフワークであったということです。

ですから、晩年の毛への追従者達による批林批孔という木だけを見て、毛の一貫した孔子(儒教)批判という森を見ないのは誤りだ、と申し上げておきましょう。

さて、ご存じのように、毛の死後、トウ小平の下、中共は共産主義からファシズムに乗り換え、ナショナリズムを鼓吹することになります。

このような背景の下で、中共当局は徐々に孔子(儒教)の復権を図って行くのです。

 そのプロセスは、次の通りです。

1989年にまず、江沢民中共総書記が、「孔子は中国古代の偉大な思想家であり,彼の思想は中国の貴重な文化遺産である」と述べます(http://www.kcg.ac.jp/acm/9/a9048.html。9月29日アクセス)。

200011月には、「中国愛国工程連合会」「国際儒学研究会」「中国社会科学院社会学研究所」などが共同で「孔子・儒学シンポジウム」を広東省の深センで開き、「孔子を代表とする儒学は中華民族の伝統文化の基礎を成し、時代と国境を超えた大きな影響がある」との認識から、こうした思想を後世に伝えるべく、私立の「孔子大学」を設立することが決定されます(http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/sitenlog/news001203.html。9月29日アクセス)

そして2004年からは、孔子の生誕記念式典が生地の曲阜の市主催で開かれるようになり、現在に至っているわけです。

(続く)