太田述正コラム#893(2005.10.6)
<大英帝国論をめぐって(その3)>
2 大英帝国を「完成」させたインド
(1)始めに
英国のインド亜大陸(以下、「インド」という)との関わりは、1600年に東インド会社が設立される以前に遡る年季の入ったものです。
東インド会社は、アジアにおける英国貿易の独占権を与えられていました。
18世紀に入るとインドのムガール(MogulまたはMughal)帝国は衰退し始め、19世紀に入ると名存実亡状況になり、インドは多数の国や植民地が分立する状況になりますが、だからといってインド全体が無秩序と混乱の世界になったというわけではなく、インド全体として見れば経済が衰退したわけでもありませんでした。
ムガール帝国は、1858年にセポイの乱を契機に完全に滅亡し、東インド会社も1874年に廃止され、インドは英国が直接統治するところとなります。
(以上、http://www.bbc.co.uk/history/state/empire/east_india_01.shtml(10月1日アクセス)による。)
(2)英国人官僚及び軍人の献身
ア インド帝国官僚
英国人たるインド帝国官僚(Indian Civil Service=ICS)の献身的な仕事ぶりについては、以前(コラム#27で)ご紹介したことがあるので繰り返しませんが、その時、インド帝国官僚は、「環境が環境だけに長寿を全うできる者も少なかったと言われています」と記した点について、まずは訂正をしておきましょう。
ナイチンゲール(Florence Nightingale)が1870年に言ったように、ボンベイはロンドンより、カルカッタはマンチェスターやリバプールより衛生的だったからです。
ここでは、英国人のインド帝国官僚あがりの人物が、英国からの独立を掲げたインド国民会議(National Congress)を創設したことに注意を喚起しておきたいと思います(注5)。
(注5)国民会議を創設したのはAllan Octavian Hume。国民会議の初代議長はAnnie Besantという英国人女性だったし、英国人William Wedderburnは1989年と1910年の二度にわたって国民会議の議長を務めた。(http://www.aicc.org.in/british_friends_of_india.htm。10月5日アクセス)
イ 英国人たる軍人
英国人は、インド人兵士からなる部隊の幹部となったほか、英国人だけで構成される連隊(複数)にも勤務しました。(この英国人だけで構成される連隊は、英国人幹部を殺してインド兵が叛乱を起こしたセポイの乱のようなことが再び起こったときにこれを鎮圧するためのものでした。)
数億のインド人がインドに住んでいたというのに、インド帝国官僚は最高でも1,300人を超えたことがありませんでした(コラム#27)し、インドに派遣された英国人たる軍人も3,000人を超えることはありませんでした。そしてこの軍人達は、インド風の衣類をまとい、インドの各種言語を話し、インド人兵士達の習慣と文化を熟知していることを誇りとする人々でした。
彼らの中から、アラブ世界におけるアラビアのロレンス(T E Lawrence ("of Arabia"))にひけをとらない、インド世界における軍人兼学者が輩出したのも、大英帝国がその他の帝国主義諸国とひと味違っていたところです(注6)。
(以上、特に断っていない限りhttp://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,6121,1581839,00.html(10月1日アクセス)、及びhttp://www.atimes.com/atimes/Front_Page/GJ04Aa01.html(10月4日アクセス)による。)
(注6)例えば、バートン(Sir Richard Burton 。1821-1890)は、オックスフォードを退学させられた後、東インド会社の軍隊に勤務し、25の言語と15の方言を身につけ、南アジア・アフリカ・中東・米国西部を探索した。彼のサンスクリットやアラビア語古典(千夜一夜物語等)の翻訳(その邦訳書を含む)は現在でもなお売れている。
しかし、インド帝国官僚や英国人たる軍人の努力によってインドが安定し、しかもインド帝国官僚がかくもインドを愛し、献身的に仕事をしたというのに、インドの経済はさして活況を呈さず、しかも1870年代と1890年代にインドが飢饉で天文学的な犠牲者を出した(注7)のは、一体どうしてなのでしょうか。
(以上、http://www.bbc.co.uk/history/state/empire/indian_rebellion_01.shtml以下(10月1日アクセス)、及びhttp://users.erols.com/mwhite28/wars19c.htm(10月5日アクセス)による。)
(注7)1876?79年と1896?1900年のエルニーニョ現象によって引き起こされた世界飢饉の際のインドでの餓死者の推定値は、それぞれ610万?1,030万人と610万?1,900万人にのぼる。
(続く)