太田述正コラム#898(2005.10.9)
<現在のイラクの混迷の原因(その1)>
1 始めに
前回のコラム(#897)で述べたような状況にイラクはどうして陥ってしまったのでしょうか。
牽強付会であるとお叱りを受けるかもしれませんが、最近のイラクを江戸時代から明治維新にかけての頃の日本になぞらえた上で、この疑問に対する回答を模索してみましょう。
2 江戸時代の日本とフセイン政権時代までのイラク
江戸時代の日本は、面積が北海道を入れれば現在と同じ38万平方キロで総人口2,500万?3,000万人だったのに対し、イラクは面積は44万平方キロで総人口は2,600万人 (http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/iz.html。10月7日アクセス)ですから、面積と人口がほぼ同じであるところがミソです。
さて、江戸時代の日本の都会の住民は「士」と「工」と「商」(すなわち「士」と町民。本稿では、併せて(広義の)「町民」と呼ぼう)であり、併せて総人口の20%前後であったのに対し、田舎の住民たる「農」は総人口の80%前後であったところ、イラクのスンニ派は総人口の20%前後であるのに対し、残りのシーア派(60%前後)とクルド人(20%前後)は併せて総人口の80%前後であり、このような形でそれぞれを切り分けると、似たような数字が出現します(注1)。
(以上、江戸時代の日本についてはhttp://www.0465.net/kanko/、及びhttp://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1161530952/content.html(どちらも10月7日アクセス)による。)
(注1)公家及び僧侶は「士」に準ずる存在とされた。また、士農工商のほかに数は少ないが、賤民(えた・非人)がいた。更に、「商」や「工」のうち一部田舎に居住していた者がいたが、彼らは当時「農」に分類されていた。
江戸時代の日本では、居住・職業選択の自由がほとんど認められていなかったところ、町民は、彼らが住む都会のうち、大きな江戸や大坂等には職業斡旋業(口入れ屋)があったことからも分かるように、田舎に住んでいた「農」に比べれば自由であり(http://www.jinzai-info.net/website/human/history/index.html。10月7日アクセス)、このような意味において、「農」に比べて恵まれていました。特に、町民の四分の一から三分の一を占めた「士」は、行政官兼軍人であり、他の町民(「工」と「商」)及び「農」からなる被支配階級の上に支配階級として君臨していました(注2)。
(注2)だからといって、支配階級たる「士」が被支配階級たる「農工商」、とりわけ「農」よりも経済的に恵まれていたというわけでは必ずしもない。佐藤常雄・大石慎三郎『貧農史観を見直す』(講談社現代新書1995年)、田中圭一『百姓の江戸時代』(ちくま新書2000年)等によって、江戸時代の「農」が「士」による搾取にあえいでいた、という神話は完全に打ち砕かれたと言ってよかろう(http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub226.htm。10月7日アクセス)。
他方イラクでは、つい最近まで、スンニ派が伝統的に恵まれた地位を享受し、その一部が支配階級を構成してきており、フセイン政権の下でも、スンニ派の一部が、独裁政党たるバース党や行政・軍事機構の幹部(旧フセイン政権幹部)となり、彼ら以外のスンニ派のほか、恵まれないシーア派やクルド人の上に君臨していました(注3)。
(注3)旧フセイン政権幹部が経済的にも恵まれていたことは当然だが、スンニ派全体としてもそうであったかどうかは、定かではない。しかし、石油収入からのあがりが優先的にスンニ派地区に回されたと考えられることから、恐らく恵まれていたと思われる。
3 180度異なるその後の成り行き
しかし、江戸時代の日本が明治維新を迎え、イラクでフセイン体制が米国等の軍事介入によって倒されると、両者のそれまで恵まれていたグループは、180度異なった対応をとります。
すなわち日本の場合、それまで恵まれていたグループであった町民は、支配階級であった「士」を含め、おおむね平和裏に恵まれていた地位の喪失を甘受したのに対し、イラクの場合、恵まれたグループであったスンニ派は、支配階級であった旧フセイン政権幹部を中心として、恵まれていた地位の喪失を肯んじえず、新政権に対する全面的な武力抵抗を継続しています。
4 違いが生じた理由
このような違いが生じた理由を思いつくままに列挙すると次の通りです。
第一に、日本の明治維新は、それまで恵まれていたグループ(「町民)中の旧支配階級(「士」)の一部が新政権を担ったのに対し、イラクの新政権は、恵まれていなかったグループ(シーア派とクルド人)が恵まれていたグループ(スンニ派)の一部(旧フセイン政権幹部)に代わって新政権を担った。
第二に、日本の明治維新は、外国の干渉を排して自律的に行われたのに対し、イラクの体制変革は外国によってなしとげられた。
第三に、第一と第二に関連して、日本の場合、新政権を担ったところの、旧支配階級(「士」)の一部が自律的に、かつ率先して旧支配階級全体の支配階級としての地位の放棄を敢行したのに対し、イラクの場合は、外国によって、他律的に旧支配階級(旧フセイン政権幹部)が支配階級としての地位を奪われた。
第四に、日本の旧支配階級(「士」)は、経済的には必ずしも恵まれていなかったのに対し、イラクの旧支配階級(旧フセイン政権幹部)は、経済的にも恵まれていた。
第五に、日本の明治維新以降、旧支配階級(「士」)のうち新政権を担わなかった(担えなかった)者による新政権に対する、西南戦争等の武力抵抗を支援する外国勢力はいなかったのに対し、イラクの場合、アルカーイダ系テロリストたる外国勢力が旧支配階級(旧フセイン政権幹部)が率いるところの、恵まれていたグループ(スンニ派)による新政権に対する武力抵抗を支援している。
第六に、日本の場合、明治維新まで恵まれていたグループ(町民)と恵まれていなかったグループ(「農」)との間に宗派的・民族的な違いはなかったのに対し、イラクの場合、恵まれていたグループ(スンニ派)と恵まれていなかったグループ(シーア派とクルド人)との間に宗派的・民族的な違いがある。
(続く)