太田述正コラム#10634(2019.6.23)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その59)>(2019.9.11公開)
かつて1886(明治19)年ベストセラーとなった『将来之日本』<(注63)>において、経済的視点から国際的平和主義を唱えた・・・徳富蘇峰<(注64)(コラム#1717、4541、4990、4998、5004、5006、5030、6069、6717、8432、9789、9902、9940、10027、10042)>・・・は、三国干渉に遭遇して一転して軍事的視点に立つ「帝国主義」へ「改宗」したのでした。・・・
(注63)「蘇峰の著書・・・のなかで、支那事変下の時局刊行物である『昭和国民読本』(一九三九年)を別にすれば、もっとも読まれた作品が『将来之日本』(一八八六年)である。刊行時に蘇峰はまだ数えで二十四歳の若さであった。・・・ここでの蘇峰の見立てによれば、十九世紀のヨーロッパではすでに「平和世界」への移行が進み、「平民主義」すなわちデモクラシーの勢力が拡大を続けている。日本においても廃藩置県によって武士の支配権力が一掃された結果として、「生産主義」「平民社会」へ変わってゆく条件が整っている。いまこそ、旧来の「武備機関」の論理を継承した「国権論」や「武備拡張主義」に対する戦いを進め、日本を真に「新日本」へと改革しなくてはいけない。それが「将来ノ日本」に求められる姿であった。」
http://www.webchikuma.jp/articles/-/601
(注64)「蘇峰の父、徳富一敬は横井小楠の弟子であり、母の妹も小楠に後妻として嫁いでいる。」(上掲)
⇒何のことはない。蘇峰のデビュー作の『将来之日本』は、単なる、スペンサーの説(コラム#10590)の受け売りだったのですね。
「注64」からも分かるように、蘇峰は文字通り小楠の申し子であったはずなのに、こんな、横井小楠コンセンサスにも反するような著作を世に問うた、ということは、ロシアを最大の脅威とした小楠の主張が、島津斉彬の主張と違って、広さと深さにおいて遜色があったからだろう、なーんて言いたくなります。
いずれにせよ、そんな蘇峰が、この受け売りの主張を一日にして変えたとしても、驚くべきことではありますまい。(太田)
遼東半島還付が日本政府や<蘇峰ら>国民に与えた深い挫折感・・・によって日本は、東アジアにおいてヨーロッパ列強に伍する権力政治の主体となることを志向するに至<り、これが、>・・・日露戦争以後の植民地帝国日本の膨張を方向づけたといえます。・・・
⇒対露安全保障上の観点から、日露間の緩衝地帯を設ける、というのが、島津斉彬コンセンサスと横井小楠コンセンサスに共通するところの、倒幕・維新の重鎮達の考えだったのであり、そのことを、山縣有朋は、日清戦争より前の「明治 23(1890)年3月に発表された・・・『外交政略論』 <の中で>「我邦利益線ノ焦点ハ実ニ朝鮮ニ在リ)」
https://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf05/5-100-111-muranaka.pdf
と述べ、更に、同年12月には、首相として、衆議院で、「蓋国家独立自営の道に二途あり、第一に主権線を守護すること、第二には利益線を保護することである、其の主権線とは国の疆域を謂ひ、利益線とは其の主権線の安危に、密着の関係ある区域を申したのである。・・・凡国として主権線、及利益線を保たぬ国は御座いませぬ、方今列国の間に介立して一国の独立をなさんんとするには、固より一朝一夕の話のみで之をなし得べきことで御座りませぬ、必ずや寸を積み尺を累ねて、漸次に国力を養ひ其の成蹟を観ることを力めなければならぬことと存じます」と、述べています。
https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/seiji03_outline.html
この考えは、決して、三谷の言うような三国干渉の産物などではなく、はるかに「年季の入った」ものだったのです。(太田)
<日本は>なぜ、欧米諸国に倣って「自由貿易帝国主義」による「非公式帝国」の拡大を目指さずに、より大きなコストを要する軍事力への依存度の高い「公式帝国」の道を選んだのでしょうか。
⇒三谷による説明を紹介する前に、先回りして、私見を記しておきましょう。
(なお、ここ、「欧米諸国」ではなく、「英国」ないしは「英国やオランダ」でなければなりません。
この頃、フランスも米国も、「公式帝国」の道を歩んでいたのですからね。(典拠省略))
第一に、日本は英国やオランダのように、経済的利益を得る目的ではなく、基本的に、ロシアと同じく、安全保障上の必要性から勢力圏ないし緩衝地帯の拡大を目指したからです。
そして、第二に、李氏朝鮮(大韓帝国)が緩衝地帯(中立の独立国)として機能してくれなかった、いや、それどころではなく、ロシアとつるんで日本の影響力排除を目指した(典拠省略)、からです。
(続く)