太田述正コラム#9002005.10.10

<現在のイラクの混迷の原因(その2)>

 (本篇は、10月8日に上梓しました。)

5 拙劣の極みだった米国のイラク戦後政策

 (1)どうすべきだったのか

 日本の明治維新は、抜本的な体制変革を、流血が極めて少ない形で成し遂げたという意味で、人類史上の奇跡の一つだと言って良いと思いますが、この明治維新と比較することで、イラクの体制変革を、多国籍軍派遣国を代表して米国が遂行したところのイラク戦後政策の拙劣さが浮き彫りになってきます。

 米国は、イラクの旧支配階級(旧フセイン政権幹部)のうち、旧フセイン政権の悪に染まっていない人々に、新憲法制定までの間の暫定政権を担わせるべきだったのです。また、旧軍や旧警察機構は、一部旧幹部をパージするだけで、スンニ派幹部多数の形のまま、存続させるべきだったのです。

 そうしておれば、フセイン政権打倒後のバクダット等における無秩序状態は現出しなかったでしょうし、国境警備も同じ状態で継続でき、アルカーイダ系テロリストないしテロリスト志向者のイラク流入を阻止することができたでしょう。つまりは、現在のイラクの混迷は相当程度回避することができた、と思います。

だからといって、「日本の旧支配階級(「士」)は、経済的には必ずしも恵まれていなかったのに対し、イラクの旧支配階級(旧フセイン政権幹部)は、経済的にも恵まれていた」上、「日本の場合、明治維新まで恵まれていたグループ(町民)と恵まれていなかったグループ(「農」)との間に宗派的・民族的な違いはなかったのに対し、イラクの場合、恵まれていたグループ(スンニ派)と恵まれていなかったグループ(シーア派とクルド人)との間に宗派的・民族的な違いがある」わけですから、日本の明治維新の時とは違って、旧支配階級の一部たる暫定政権幹部達に、旧支配階級全体を代表して「支配階級としての地位の放棄を敢行」させることは容易ではありません。

彼らに地位を放棄させる見返りとして、(暫定政権においてのみならず、)本格政権においても、国家元首にはスンニ派の人間を充てることを米国はお膳立てすべきだったのです。イラクの新憲法にその旨明記するわけです。私自身は、(明治維新の際の天皇制の「復活」に倣うまでもなく、)スンニ派たる旧ハーシェム王家の復辟が一番良かったと今でも思っています(注4)が、大統領にはスンニ派の人間を充てる、ということでも悪くはなかったでしょう。

 (注4)ハーシェム家については、コラム#555660109130及び私のHPの掲示板の投稿#188#256を参照されたい。米国のネオコンも、ハーシェム家側も、ハーシェム家を復辟させる気が十分すぎるくらいあったというのに、一体どこでボタンの掛け違いが起こったのか。

     ちなみに、旧イラク王家の血を引くシャリフ・アリ・ビン・フセイン(Sharif Ali bin Al-Hussein)氏は、今年の暫定議会選挙に政党「イラク立憲王制(Iraqi Constitutional Monarchy)」を率いて臨んだが、スンニ派が選挙をボイコットする中、得票率が0.16%しかなく、彼自身を含め、一人の当選者も出せなかった(http://en.wikipedia.org/wiki/Sharif_Ali_bin_Al-Hussein19月8日アクセス)

 (2)何がまずかったのか

このように見てくると、米国のイラク戦後政策でまずかった点として、しばしば、兵力が少なすぎたとか、かかる経費を少なく見積もりすぎたとか指摘されているのは、的はずれな批判だ、ということになりそうです。

すなわち、数十万の兵力が必要だと議会で証言してウォルフォビッツ国防副長官(当時)から辱められたシンセキ(Eric K. Shinseki)陸軍参謀総長(当時)や、イラク関連総経費は2,000億米ドルに達することだろうと(今思えばささやかな額を)予想して叱責され、やがて馘首された大統領のリンゼー(Lawrence Lindsay)経済顧問(当時)は、どちらもさして同情に値しない、ということです。

米国はそもそもイラク戦後政策の準備が足らなかった、という批判もよく耳にしますが、これもいかがなものでしょうか。

国務省は十分準備していたけれど、国防総省との対立の中で、国防総省主導のイラク占領となったため、せっかく国務省が準備していた戦後政策が採用されなかった、というのが本当のところのようです(注5)。

(以上、事実関係はhttp://www.nytimes.com/2005/10/07/books/07book.html?pagewanted=print10月7日アクセス)による。)

(注5)国務省でイラク戦後政策準備の総合調整を担当したワリック(Tom Warrick)は、イラク戦後一年間、国防総省の反対でイラク入国ができなかったという。

(完)