太田述正コラム#906(2005.10.13)
<メディア・中立性・客観性(その1)>
1 始めに
私は英米のメディアが、日本のメディアとは違って、精力的に中共の暗部についても取材し、報道していることにかねてから敬意を払ってきました。
しかしこのたび、呂邦列(Lu Banglie)なる市民運動家に関する英ガーディアン紙の勇み足気味の報道に接し、思わず考えこんでしまいました。
2 ガーディアンの報道
ガーディアンの一連の報道を要約すると、次のとおりです。
呂邦列(33歳)は、湖北省(Hubei province)枝江市(Zhijiang city)の百裡洲鎮(Bailizhou town)寶月寺村(Baoyuesi village)で1971年に農民の家に生まれ、今でもこの村で年老いた母親と暮らしている。
ガンジーの映画を見て、ガンジーが非暴力主義で政治的目的を達する生き様に感銘を受けた呂は、30歳の頃から村の税金を減免して欲しいといった陳情を北京で行うようになった。
ちょうどその頃から、村長等の選挙が行われるようになり、寶月寺村でも共産党村書記が村委会主任(village chief。村長)に選ばれたが、選挙不正があったと呂らが追及した結果、村長は辞任に追い込まれ、昨年、呂が代わって寶月寺村長(枝江市人民代表(people’s representative。市議会議員)を兼ねる)に就任した。この間、呂は幾度となく暴行を受け、今でも体中に傷跡が残っている。
今年に入って、遠く離れた広東省広州市太石(Taishi)村の村長に村有地を売った金を懐に入れた等の疑惑が生じ、7月末に村民達は村の会計資料の開示を求めると共に村長の辞任を求めて立ち上がり、インターネットを駆使して中共全土に訴え、部外の法律専門家に助言を求めるとともに、経験者たる呂にも助けを求めた。呂は喜んで一肌脱ぐことになり、爾来太石村に滞在してきた。
(以上、http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1589156,00.html(10月11日アクセス)、及びhttp://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1588730,00.html(10月10日アクセス)による。)
この太石村の騒動は、国際メディアの注目を浴びるところとなった。ガーディアンも上海駐在の英国人記者を送り込み、その際、呂がガイド役を務めることになった。
9月8日にタクシーに記者、呂、通訳の三人が乗って、太石村に向かったところ、村はずれでならず者めいた群衆に取り囲まれた。
呂が発見されると、彼は車の外に引きずり出され、地面に転がされて集団リンチを加えられた。やがて呂の眼球は飛び出し、舌は切られ、首の筋(ligaments)が断裂して首があらぬ方向にねじまがった状態になった。
18分ほど経った段階で、記者も引きずり出され、悪口雑言を受けながら暴行された。記者は命乞いをし、カネを渡し、写真を撮ったり録音していないことを確かめられた上でようやく解放された。記者が再度呂の方を見ると、群衆が、呂の頭を蹴り、呂に向かって鼻をかみ、つばをはきかけ、小便をかけていた。やっと救急車が来たが、救急救命士が呂の脈をとっただけで救急車は戻って行った。
記者は車で連れて行かれ、広州市の官憲の10数名による尋問を受け、許可を得ずに取材にやってきたことを非難され、記者が謝罪した後、放免された。
(以上、http://www.guardian.co.uk/china/story/0,7369,1588595,00.html(10月11日アクセス)による。)
さて、ここまで読まれた方は、間違いなく呂は死んだ、と受け止められたことでしょう。
ところが、呂は生きていたのです。しかも、全く打撲等の跡の見られないきれいな顔で「生還」インタビューを行った(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4329396.stm。10月11日アクセス)のです。
おっと先を急ぎすぎました。ガーディアンの報道の続きを見てみましょう。
(続く)