太田述正コラム#909(2005.10.15)
<ペロポネソス戦争(その2)>
(2)自由・民主主義
ペロポネソス戦争が始まってから1年経った時、アテネの戦死者の合同葬儀が行われ、アテネの政治的・軍事的指導者であったペリクレス(Pericles。前495??前429年)が弔辞を述べました。
リンカーンのゲティスバーグ演説を思い起こさせるような内容のペリクレスの弔辞から、その一部をご紹介しましょう。(英訳http://www.wsu.edu:8080/~dee/GREECE/PERICLES.HTM(10月13日アクセス)からの拙訳)
われわれは<祖先から>この自由なポリスを受け継いだ。・・死者を称える前に、いかなる行動原理に従ってわれわれが権力の座に上ったのか、いかなる制度やいかなる生活様式によってわれわれの帝国は偉大になったのか、を説明させていただきたい。
・・われわれの政府の形態は他のポリスにその例を見ない。われわれの政府は隣のポリス等のマネはせず、逆に隣のポリス等の範例となっている。われわれの政体が民主制と呼ばれていることは事実だ。なぜなら行政は多数の手の中にあり、少数の専有物ではないからだ。しかし、<市民>全員に平等に正義が分かち与えられており、私的紛争においても平等に正義が適用されるが、卓越した者は抛ってはおかれない。ある市民が卓越しておれば、人々は彼に公的な地位に就いて欲しいと願う。それは特権としてではなく、あくまでも真価(merit)に対する対価としてだ。同様に貧困は障害ではなく、いかなる無名の者とて国家に貢献することができる。<このように、>われわれは公的生活において排他的ではない。そして私的領域(private business)においても、われわれはお互いに猜疑心を持つことも、隣人がなすことが気に入らなくても腹を立てることもない。害こそ及ぼさないが不愉快な者に対しても、われわれはうさんくさく眺めたりするようなことはしない。つまり、我々は私的領域においては、<互いに>干渉を受けることを嫌う。しかし、公的活動に対しては、敬意の念をもって接する。われわれは<また、>当局と法律に対する敬意にに基づき、悪事を自ら抑制している。
・・われわれの軍事訓練についても、様々な面で敵のものより優れている。また、われわれのポリスは世界に向かって開かれている。われわれは外国人を追放したりしないばかりか、たとえ秘密が敵に開示されることによってその敵を利するであろうものであっても、それを彼らが見たり学んだりすることを妨げたげたりはしない。われわれはごまかし(management)や偽計に頼らず、自らの精神(hearts)と肉体(hands)に頼る。教育については、彼ら<(スパルタ)>は、勇敢な人間に育たんがため、小さいときから激しい訓練に勤しむが、われわれは<小さい時は>のんびり過ごす。それでいて、いざ危機が到来すれば、彼ら同様それに<敢然と>立ち向かう用意が<いつのまにか>できている。
まことペリクレスは、開放的な自由・民主主義社会とはいかなるものであって、なにゆえかかる自由・民主主義社会は戦争にも強いか、噛んで含めるように説明していますね
米国の人々が、アテネを自分の国のミニチュア版だと考えたいわけです。
(3)帝国主義的マキャベリズム
トゥキディデスは、このようなアテネ人の精神がいかにペロポネソス戦争が長引くにつれて劣化して行ったかを見逃しません(http://www.wsu.edu:8080/~dee/GREECE/THUCY.HTM前掲)。
メロス(Melos)は、スパルタの植民地として発足した、クレタ海(Cretan Sea)の島のポリスであり、周辺の島々のポリスはことごとくアテネの同盟に入り、アテネに朝貢していましたが、メロスはスパルタにもアテネにも与せず中立を保っていました。
やがて、アテネが艦隊をメロス周辺に派遣し、メロスにアテネへの隷属と朝貢を要求します。
その時の両者のやりとりの一部を、ご紹介しましょう。(英訳http://www.wsu.edu:8080/~dee/GREECE/MELIAN.HTM(10月13日アクセス)からの拙訳)
メロス側:あなた方は議論をしたいとおっしゃる。・・しかし、議論が終わり、われわれの理屈の方が通ってわれわれが譲らなかったら戦争になり、われわれが理屈で負けたらあなた方の奴隷になる、というわけだ。
・・
アテネ側:われわれアテネ人は、美しい言葉などは用いない。われわれはペルシャに打ち勝ったのだから、支配をする権利があるなどとは言わない。また、損害を与えられたから君たちを攻撃するなどとも言わない。そう言ったとて、君たちは納得はしないだろう。他方、スパルタの植民ポリスであるにもかかわらず、スパルタの遠征に加わったことがないとか、何もアテネに悪いことはしていないとか君たちが主張したとて、われわれが説得されるなどと期待してはならない。君たちもわれわれも、ホンネでしゃべらなければならず、何が可能かにだけ焦点をしぼるべきなのだ。なぜなら、われわれはお互いに、交渉ごとにおいては、互いに対等な正義執行力を持っていて初めて正義の出番があるのであって、さもなければ、強者がぶんどれるものをぶんどる一方で、弱者は差し出さなければならないものを差し出さなければならないのさ。
・・
メロス側:あなた方にとってわれわれの主人になることは利益だろうが、われわれはあなた方の奴隷になることに何の利益があるのだ。
アテネ側:降伏することで君たちは最悪の事態を回避することができる。他方、われわれは君たちが貯め込んでいたものをいただいてより金持ちになることができる。
・・
メロス側:今中立でいるすべてのポリスを敵に回すことになるのではないのか。・・われわれは戦争の神は時に公平でなくなるのであって、いつも数で勝る方の肩を持つわけではないことを知っている。仮にわれわれが今降伏すれば、すべてはそれで終わる。しかし仮に戦えば、何とかなるかもしれない。・・われわれは、スパルタの同盟ポリスによってわれわれの軍勢の劣勢が補われるだろうと考えている。・・だから、われわれの自信は、あなた方が考えているほど盲目なものではない。
このようにして交渉は決裂し、両者の間で戦いの火ぶたが切って落とされるのですが、メロス側が期待していた援軍は訪れず、メロスは敗れます。
その結果、メロスの男子の市民は全員殺害され、女性と子供達は奴隷にさせられてしまうのです(注3)。
(注3)しかし、このような仕打ちを重ねたアテネは、メロス側が予言したように、「今中立でいるすべてのポリスを敵に回すこと」になったのであって、既に述べたように、シシリー島遠征でアテネが大敗北を喫したことを契機に、これらポリスは一斉にアテネに牙を剥き、アテネは一挙に敗勢へと向かうことになる。
このあたりは、戦間期から先の大戦における日米開戦に至るまでの、米国の日本に対する態度を思い出させますね。
米国の人々としては、余り読みたくない箇所かもしれません。
(続く)