太田述正コラム#10668(2019.7.10)
<三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』を読む(その71)>(2019.9.28公開)

 1933年1月に国際連盟協会発行の雑誌『国際知識』に発表された政治学者蝋山政道の論文「世界の再認識と地方的(リージョナル)国際連盟」は、おそらく日本で初めて国際的地域主義の概念を提示し、それを当時の日本の置かれた国際状況に適用すべきことを説いた先駆的な論文です。
 蝋山は、近い将来における日本の国際連盟脱退を予期し、その後の日本の依拠すべき国際秩序原理として国際的地域主義を唱えたのでした。・・・
 <この>「地域主義」<(注82)>は、一方で軍事力を主要な手段とする日本の政治的経済的支配に抵抗する中国その他の民族主義を否定するとともに、他方で東アジア、後には東南アジアを含む「大東亜」における欧米の先進的帝国主義に対抗する意味を付与されたのです。・・・

 (注82)「リージョナリズムは歴史的には第二次世界大戦前のブロック経済に由来するものであり、帝国主義の新たな形態であると捉えることも可能である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
 英語ウィキペディアは、地域主義は戦間期に出現したとし、その例として、米州連合(Pan-American Union)だけをあげている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Regionalism_(international_relations)
https://en.wikipedia.org/wiki/Pan-American_Conference
 ちなみに、米州連合が、第二次世界大戦後の1951年設立の米州機構(Organization of American States=OAS)に繋がった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%B7%9E%E6%A9%9F%E6%A7%8B

⇒常識的には、「注82」で引用したところの、リージョナリズムの邦語ウィキペディアの記述に照らしても、蝋山の地方主義ならぬ地域主義には、欧米のタネ本ないしタネ論文があると思われるのですが、その発見には今のところ至っていません。(太田)

 1920年代の・・・グローバル・スタンダードは、政治的には軍縮条約であり、経済的には金(為替)本位制でした。

⇒この箇所、三谷のオリジナルでないとすれば、そういう言い方をした典拠が不可欠の筈ですが・・。(太田)

 前者が政治的国際主義、後者が経済的国際主義のそれぞれの基軸でした。
 1930年1月には日本は金解禁を実施することによって、第一次大戦中に離脱した金本位制に復帰し、またこれと踵を接して、1922年のワシントン海軍軍縮条約を補完するロンドン海軍軍縮条約を成立させます。・・・

⇒1930年と1922年じゃあ、「踵を接して」いるとは言えないのでは?(太田)
 
 ところが、わずか1年で日本および世界は一変します。
 1931年をもって日本と世界にとっての第一次大戦の「戦後」は終わるのです。

⇒それを言うなら、画期は、1929年に始まった大恐慌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%81%90%E6%85%8C
でしょう。
 それを契機に、「リージョナリズム」・・蝋山/三谷的には堕落したリージョナリズムなのかもしれませんが・・、であるところの、諸列強によるブロック経済化が本格化するのですから・・。
 (もっとも、ブロック経済化の端緒を作ったのは、1924年における豊田自動織機の完成だった、という説があるようですね。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E7%B5%8C%E6%B8%88 (太田)

 そして1931年から日本の軍部によって引き起こされた国際環境の変動に伴って、従来日本においては傍流ないし底流に止まっていた「地域主義」が、外国の事例をモデルとしながら、俄然時代の本流に転ずることになります。・・・

⇒「外国の事例」ってブロック経済のことなのか、それ以外のものなのか、三谷には、例示くらいはして欲しかったですね。(太田)

(続く)